とかん子に云いました。
「僕の作った歌だねい。」
 絵が消えて『火を軽べつすべからず』という字があらわれました。それも消えて絵がうつりました。狐のこん助が焼いたお魚を取ろうとしてしっぽに火がついた所です。
 狐の生徒がみな叫びました。
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「狐こんこん狐の子。去年狐のこん助が
 焼いた魚を取ろとしておしりに火がつき
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きゃんきゃんきゃん。」
[#ここで字下げ終わり]
 笛がピーと鳴り幕は明るくなって紺三郎が又出て来て云いました。
「みなさん。今晩の幻燈はこれでおしまいです。今夜みなさんは深く心に留《と》めなければならないことがあります。それは狐のこしらえたものを賢《かしこ》いすこしも酔わない人間のお子さんが喰べて下すったという事です。そこでみなさんはこれからも、大人になってもうそをつかず人をそねまず私共狐の今迄《いままで》の悪い評判をすっかり無くしてしまうだろうと思います。閉会の辞です。」
 狐の生徒はみんな感動して両手をあげたりワーッと立ちあがりました。そしてキラキラ涙をこぼしたのです。
 紺三郎が二人の前に来て、丁寧におじぎをして云いました。
「それでは。さようなら。今夜のご恩は決して忘れません。」
 二人もおじぎをしてうちの方へ帰りました。狐の生徒たちが追いかけて来て二人のふところやかくしにどんぐりだの栗だの青びかりの石だのを入れて、
「そら、あげますよ。」「そら、取って下さい。」なんて云って風の様に逃《に》げ帰って行きます。
 紺三郎は笑って見ていました。
 二人は森を出て野原を行きました。
 その青白い雪の野原のまん中で三人の黒い影《かげ》が向うから来るのを見ました。それは迎《むか》いに来た兄さん達でした。



底本:「注文の多い料理店」新潮文庫、新潮社
   1990(平成2)年5月25日発行
   1997(平成9)年5月10日17刷
初出:「愛国婦人」
   1921(大正10)年12月号、1922(大正11)年1月号
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2006年3月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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