山男の四月
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)眼《め》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)支那|反物《たんもの》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「穴かんむり/牛」、第4水準2−83−13]
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山男は、金いろの眼《め》を皿《さら》のようにし、せなかをかがめて、にしね山のひのき林のなかを、兎《うさぎ》をねらってあるいていました。
ところが、兎はとれないで、山鳥がとれたのです。
それは山鳥が、びっくりして飛びあがるとこへ、山男が両手をちぢめて、鉄砲《てっぽう》だまのようにからだを投げつけたものですから、山鳥ははんぶん潰《つぶ》れてしまいました。
山男は顔をまっ赤にし、大きな口をにやにやまげてよろこんで、そのぐったり首を垂れた山鳥を、ぶらぶら振《ふ》りまわしながら森から出てきました。
そして日あたりのいい南向きのかれ芝《しば》の上に、いきなり獲物《えもの》を投げだして、ばさばさの赤い髪毛《かみけ》を指でかきまわしながら、肩《かた》を円くしてごろりと寝《ね》ころびました。
どこかで小鳥もチッチッと啼《な》き、かれ草のところどころにやさしく咲いたむらさきいろのかたくりの花もゆれました。
山男は仰向《あおむ》けになって、碧《あお》いああおい空をながめました。お日さまは赤と黄金《きん》でぶちぶちのやまなしのよう、かれくさのいいにおいがそこらを流れ、すぐうしろの山脈では、雪がこんこんと白い後光をだしているのでした。
(飴《あめ》というものはうまいものだ。天道《てんと》は飴をうんとこさえているが、なかなかおれにはくれない。)
山男がこんなことをぼんやり考えていますと、その澄《す》み切った碧いそらをふわふわうるんだ雲が、あてもなく東の方へ飛んで行きました。そこで山男は、のどの遠くの方を、ごろごろならしながら、また考えました。
(ぜんたい雲というものは、風のぐあいで、行ったり来たりぽかっと無くなってみたり、俄《にわ》かにまたでてきたりするもんだ。そこで雲助とこういうのだ。)
そのとき山男は、なんだかむやみに足とあたまが軽くなって、逆さまに空気のなかにうかぶような、へんな気もちになりました。もう山男こそ雲助のように、風にながされるのか、ひとりでに飛ぶのか、どこというあてもなく、ふらふらあるいていたのです。
(ところがここは七つ森だ。ちゃんと七っつ、森がある。松《まつ》のいっぱい生えてるのもある、坊主《ぼうず》で黄いろなのもある。そしてここまで来てみると、おれはまもなく町へ行く。町へはいって行くとすれば、化けないとなぐり殺される。)
山男はひとりでこんなことを言いながら、どうやら一人《ひとり》まえの木樵《きこり》のかたちに化けました。そしたらもうすぐ、そこが町の入口だったのです。山男は、まだどうも頭があんまり軽くて、からだのつりあいがよくないとおもいながら、のそのそ町にはいりました。
入口にはいつもの魚屋があって、塩鮭《しおざけ》のきたない俵《たわら》だの、くしゃくしゃになった鰯《いわし》のつらだのが台にのり、軒《のき》には赤ぐろいゆで章魚《だこ》が、五つつるしてありました。その章魚を、もうつくづくと山男はながめたのです。
(あのいぼのある赤い脚《あし》のまがりぐあいは、ほんとうにりっぱだ。郡役所の技手《ぎて》の、乗馬ずぼんをはいた足よりまだりっぱだ。こういうものが、海の底の青いくらいところを、大きく眼をあいてはっているのはじっさいえらい。)
山男はおもわず指をくわえて立ちました。するとちょうどそこを、大きな荷物をしょった、汚《きた》ない浅黄服《あさぎふく》の支那《しな》人が、きょろきょろあたりを見まわしながら、通りかかって、いきなり山男の肩をたたいて言いました。
「あなた、支那|反物《たんもの》よろしいか。六神丸《ろくしんがん》たいさんやすい。」
山男はびっくりしてふりむいて、
「よろしい。」とどなりましたが、あんまりじぶんの声がたかかったために、円い鈎《かぎ》をもち、髪をわけ下駄《げた》をはいた魚屋の主人や、けらを着た村の人たちが、みんなこっちを見ているのに気がついて、すっかりあわてて急いで手をふりながら、小声で言い直しました。
「いや、そうだない。買う、買う。」
すると支那人は
「買わない、それ構わない、ちょっと見るだけよろしい。」
と言いながら、背中の荷物をみちのまんなかにおろしました。山男はどうもその支那人のぐちゃぐちゃした赤い眼が、とかげのようでへんに怖《こわ》くてしかたありませんでした。
そのうちに支那人は、手ばやく荷物へかけた黄いろの真田紐《さなだひも》をといてふろしきをひらき、行李《こうり》の蓋《ふた》をとって反物のいちばん上にたくさんならんだ紙箱《かみばこ》の間から、小さな赤い薬瓶《くすりびん》のようなものをつかみだしました。
(おやおや、あの手の指はずいぶん細いぞ。爪《つめ》もあんまり尖《とが》っているしいよいよこわい。)山男はそっとこうおもいました。
支那人はそのうちに、まるで小指ぐらいあるガラスのコップを二つ出して、ひとつを山男に渡《わた》しました。
「あなた、この薬のむよろしい。毒ない。決して毒ない。のむよろしい。わたしさきのむ。心配ない。わたしビールのむ、お茶のむ。毒のまない。これながいきの薬ある。のむよろしい。」支那人はもうひとりでかぷっと呑《の》んでしまいました。
山男はほんとうに呑んでいいだろうかとあたりを見ますと、じぶんはいつか町の中でなく、空のように碧いひろい野原のまんなかに、眼のふちの赤い支那人とたった二人、荷物を間に置いて向かいあって立っているのでした。二人のかげがまっ黒に草に落ちました。
「さあ、のむよろしい。ながいきのくすりある。のむよろしい。」支那人は尖った指をつき出して、しきりにすすめるのでした。山男はあんまり困ってしまって、もう呑んで遁《に》げてしまおうとおもって、いきなりぷいっとその薬をのみました。するとふしぎなことには、山男はだんだんからだのでこぼこがなくなって、ちぢまって平らになってちいさくなって、よくしらべてみると、どうもいつかちいさな箱のようなものに変って草の上に落ちているらしいのでした。
(やられた、畜生《ちくしょう》、とうとうやられた、さっきからあんまり爪が尖ってあやしいとおもっていた。畜生、すっかりうまくだまされた。)山男は口惜《くや》しがってばたばたしようとしましたが、もうただ一箱の小さな六神丸ですからどうにもしかたありませんでした。
ところが支那人のほうは大よろこびです。ひょいひょいと両脚をかわるがわるあげてとびあがり、ぽんぽんと手で足のうらをたたきました。その音はつづみのように、野原の遠くのほうまでひびきました。
それから支那人の大きな手が、いきなり山男の眼の前にでてきたとおもうと、山男はふらふらと高いところにのぼり、まもなく荷物のあの紙箱の間におろされました。
おやおやとおもっているうちに上からばたっと行李の蓋が落ちてきました。それでも日光は行李の目からうつくしくすきとおって見えました。
(とうとう※[#「穴かんむり/牛」、第4水準2−83−13]《ろう》におれははいった。それでもやっぱり、お日さまは外で照っている。)山男はひとりでこんなことを呟《つぶ》やいて無理にかなしいのをごまかそうとしました。するとこんどは、急にもっとくらくなりました。
(ははあ、風呂敷《ふろしき》をかけたな。いよいよ情けないことになった。これから暗い旅になる。)山男はなるべく落ち着いてこう言いました。
すると愕《おど》ろいたことは山男のすぐ横でものを言うやつがあるのです。
「おまえさんはどこから来なすったね。」
山男ははじめぎくっとしましたが、すぐ、
(ははあ、六神丸というものは、みんなおれのようなぐあいに人間が薬で改良されたもんだな。よしよし、)と考えて、
「おれは魚屋の前から来た。」と腹に力を入れて答えました。すると外から支那人が噛《か》みつくようにどなりました。
「声あまり高い。しずかにするよろしい。」
山男はさっきから、支那人がむやみにしゃくにさわっていましたので、このときはもう一ぺんにかっとしてしまいました。
「何だと。何をぬかしやがるんだ。どろぼうめ。きさまが町へはいったら、おれはすぐ、この支那人はあやしいやつだとどなってやる。さあどうだ。」
支那人は、外でしんとしてしまいました。じつにしばらくの間、しいんとしていました。山男はこれは支那人が、両手を胸で重ねて泣いているのかなともおもいました。そうしてみると、いままで峠《とうげ》や林のなかで、荷物をおろしてなにかひどく考え込《こ》んでいたような支那人は、みんなこんなことを誰《たれ》かに云《い》われたのだなと考えました。山男はもうすっかりかあいそうになって、いまのはうそだよと云おうとしていましたら、外の支那人があわれなしわがれた声で言いました。
「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する、それ、あまり同情ない。」山男はもう支那人が、あんまり気の毒になってしまって、おれのからだなどは、支那人が六十銭もうけて宿屋に行って、鰯《いわし》の頭や菜っ葉|汁《じる》をたべるかわりにくれてやろうと思いながら答えました。
「支那人さん、もういいよ。そんなに泣かなくてもいいよ。おれは町にはいったら、あまり声を出さないようにしよう。安心しな。」すると外の支那人は、やっと胸をなでおろしたらしく、ほおという息の声も、ぽんぽんと足を叩《たた》いている音も聞こえました。それから支那人は、荷物をしょったらしく、薬の紙箱は、互《たがい》にがたがたぶっつかりました。
「おい、誰だい。さっきおれにものを云いかけたのは。」
山男が斯《こ》う云いましたら、すぐとなりから返事がきました。
「わしだよ。そこでさっきの話のつづきだがね、おまえは魚屋の前からきたとすると、いま鱸《すずき》が一|匹《ぴき》いくらするか、またほしたふかのひれが、十|両《テール》に何|片《ぎん》くるか知ってるだろうな。」
「さあ、そんなものは、あの魚屋には居なかったようだぜ。もっとも章魚《たこ》はあったがなあ。あの章魚の脚つきはよかったなあ。」
「へい。そんないい章魚かい。わしも章魚は大すきでな。」
「うん、誰だって章魚のきらいな人はない。あれを嫌《きら》いなくらいなら、どうせろくなやつじゃないぜ。」
「まったくそうだ。章魚ぐらいりっぱなものは、まあ世界中にないな。」
「そうさ。お前はいったいどこからきた。」
「おれかい。上海《しゃんはい》だよ。」
「おまえはするとやっぱり支那人だろう。支那人というものは薬にされたり、薬にしてそれを売ってあるいたり気の毒なもんだな。」
「そうでない。ここらをあるいてるものは、みんな陳《ちん》のようないやしいやつばかりだが、ほんとうの支那人なら、いくらでもえらいりっぱな人がある。われわれはみな孔子聖人《こうしせいじん》の末なのだ。」
「なんだかわからないが、おもてにいるやつは陳というのか。」
「そうだ。ああ暑い、蓋《ふた》をとるといいなあ。」
「うん。よし。おい、陳さん。どうもむし暑くていかんね。すこし風を入れてもらいたいな。」
「もすこし待つよろしい。」陳が外で言いました。
「早く風を入れないと、おれたちはみんな蒸《む》れてしまう。お前の損になるよ。」
すると陳が外でおろおろ声《ごえ》を出しました。
「それ、もとも困る、がまんしてくれるよろしい。」
「がまんも何もないよ、おれたちがすきでむれるんじゃないんだ。ひとりでにむれてしまうさ。早く蓋をあけろ。」
「も二十分まつよろしい。」
「えい、仕方ない。そんならも少し急いであるきな。仕方ないな。ここに居るのはおまえだけかい。」
「いいや、まだたくさんい
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