つてゐないから、丸薬さへのめばもとへ戻る。おまへのすぐ横に、その黒い丸薬の瓶《びん》がある。」
「さうか。そいつはいゝ、それではすぐ呑《の》まう。しかし、おまへさんたちはのんでもだめか。」
「だめだ。けれどもおまへが呑んでもとの通りになつてから、おれたちをみんな水に漬《つ》けて、よくもんでもらひたい。それから丸薬をのめばきつとみんなもとへ戻る。」
「さうか。よし、引き受けた。おれはきつとおまへたちをみんなもとのやうにしてやるからな。丸薬といふのはこれだな。そしてこつちの瓶は人間が六神丸になるはうか。陳もさつきおれといつしよにこの水薬をのんだがね、どうして六神丸にならなかつたらう。」
「それはいつしよに丸薬を呑んだからだ。」
「ああ、さうか。もし陳がこの丸薬だけ呑んだらどうなるだらう。変らない人間がまたもとの人間に変るとどうも変だな。」
 そのときおもてで陳が、
「支那《しな》たものよろしいか。あなた、支那たもの買ふよろしい。」
と云ふ声がしました。
「ははあ、はじめたね。」山男はそつとかう云つておもしろがつてゐましたら、俄《には》かに蓋があいたので、もうまぶしくてたまりませんでした。それでもむりやりそつちを見ますと、ひとりのおかつぱの子供が、ぽかんと陳の前に立つてゐました。
 陳はもう丸薬を一つぶつまんで、口のそばへ持つて行きながら、水薬とコツプを出して、
「さあ、呑むよろしい。これながいきの薬ある。さあ呑むよろしい。」とやつてゐます。
「はじめた、はじめた。いよいよはじめた。」行李《かうり》のなかでたれかが言ひました。
「わたしビール呑む、お茶のむ、毒のまない。さあ、呑むよろしい。わたしのむ。」
 そのとき山男は、丸薬を一つぶそつとのみました。すると、めりめりめりめりつ。
 山男はすつかりもとのやうな、赤髪の立派なからだになりました。陳はちやうど丸薬を水薬といつしよにのむところでしたが、あまりびつくりして、水薬はこぼして丸薬だけのみました。さあ、たいへん、みるみる陳のあたまがめらあつと延びて、いままでの倍になり、せいがめきめき高くなりました。そして「わあ。」と云ひながら山男につかみかかりました。山男はまんまるになつて一生けん命|遁《に》げました。ところがいくら走らうとしても、足がから走りといふことをしてゐるらしいのです。たうとうせなかをつかまれてしまひました。
「助けてくれ、わあ、」と山男が叫びました。そして眼をひらきました。みんな夢だつたのです。
 雲はひかつてそらをかけ、かれ草はかんばしくあたたかです。
 山男はしばらくぼんやりして、投げ出してある山鳥のきらきらする羽をみたり、六神丸の紙箱を水につけてもむことなどを考へてゐましたがいきなり大きなあくびをひとつして言ひました。
「えゝ、畜生、夢のなかのこつた。陳も六神丸もどうにでもなれ。」
 それからあくびをもひとつしました。



底本:「宮沢賢治全集 8」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年1月28日第1刷発行
入力:あきら
校正:伊藤時也
2003年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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