から、小さな赤い薬瓶《くすりびん》のやうなものをつかみだしました。
(おやおや、あの手の指はずゐぶん細いぞ。爪《つめ》もあんまり尖《とが》つてゐるしいよいよこはい。)山男はそつとかうおもひました。
支那人はそのうちに、まるで小指ぐらゐあるガラスのコツプを二つ出して、ひとつを山男に渡しました。
「あなた、この薬のむよろしい。毒ない。決して毒ない。のむよろしい。わたしさきのむ。心配ない。わたしビールのむ、お茶のむ。毒のまない。これながいきの薬ある。のむよろしい。」支那人はもうひとりでかぷつと呑《の》んでしまひました。
山男はほんたうに呑んでいゝだらうかとあたりを見ますと、じぶんはいつか町の中でなく、空のやうに碧《あを》いひろい野原のまんなかに、眼のふちの赤い支那人とたつた二人、荷物を間に置いて向ひあつて立つてゐるのでした。二人のかげがまつ黒に草に落ちました。
「さあ、のむよろしい。ながいきのくすりある。のむよろしい。」支那人は尖つた指をつき出して、しきりにすすめるのでした。山男はあんまり困つてしまつて、もう呑んで遁《に》げてしまはうとおもつて、いきなりぷいつとその薬をのみました。するとふしぎなことには、山男はだんだんからだのでこぼこがなくなつて、ちぢまつて平らになつてちひさくなつて、よくしらべてみると、どうもいつかちひさな箱のやうなものに変つて草の上に落ちてゐるらしいのでした。
(やられた、畜生、たうとうやられた、さつきからあんまり爪《つめ》が尖《とが》つてあやしいとおもつてゐた。畜生、すつかりうまくだまされた。)山男は口惜《くや》しがつてばたばたしようとしましたが、もうたゞ一箱の小さな六神丸《ろくしんぐわん》ですからどうにもしかたありませんでした。
ところが支那《しな》人のはうは大よろこびです。ひよいひよいと両脚をかはるがはるあげてとびあがり、ぽんぽんと手で足のうらをたたきました。その音はつづみのやうに、野原の遠くのはうまでひびきました。
それから支那人の大きな手が、いきなり山男の眼の前にでてきたとおもふと、山男はふらふらと高いところにのぼり、まもなく荷物のあの紙箱の間におろされました。
おやおやとおもつてゐるうちに上からばたつと行李《かうり》の蓋《ふた》が落ちてきました。それでも日光は行李の目からうつくしくすきとほつて見えました。
(たうとう※[#「穴/牛」、第4水準2−83−13]《らう》におれははひつた。それでもやつぱり、お日さまは外で照つてゐる。)山男はひとりでこんなことを呟《つぶ》やいて無理にかなしいのをごまかさうとしました。するとこんどは、急にもつとくらくなりました。
(ははあ、風呂敷《ふろしき》をかけたな。いよいよ情けないことになつた。これから暗い旅になる。)山男はなるべく落ち着いてかう言ひました。
すると愕《おど》ろいたことは山男のすぐ横でものを言ふやつがあるのです。
「おまへさんはどこから来なすつたね。」
山男ははじめぎくつとしましたが、すぐ、
(ははあ、六神丸といふものは、みんなおれのやうなぐあひに人間が薬で改良されたもんだな。よしよし、)と考へて、
「おれは魚屋の前から来た。」と腹に力を入れて答へました。すると外から支那人が噛《か》みつくやうにどなりました。
「声あまり高い。しづかにするよろしい。」
山男はさつきから、支那人がむやみにしやくにさはつてゐましたので、このときはもう一ぺんにかつとしてしまひました。
「何だと。何をぬかしやがるんだ。どろぼうめ。きさまが町へはひつたら、おれはすぐ、この支那人はあやしいやつだとどなつてやる。さあどうだ。」
支那人は、外でしんとしてしまひました。じつにしばらくの間、しいんとしてゐました。山男はこれは支那人が、両手を胸で重ねて泣いてゐるのかなとおもひました。さうしてみると、いままで峠や林のなかで、荷物をおろしてなにかひどく考へ込んでゐたやうな支那人は、みんなこんなことを誰《たれ》かに云《い》はれたのだなと考へました。山男はもうすつかりかあいさうになつて、いまのはうそだよと云はうとしてゐましたら、外の支那人があはれなしはがれた声で言ひました。
「それ、あまり同情ない。わたし商売たたない。わたしおまんまたべない。わたし往生する、それ、あまり同情ない。」山男はもう支那人が、あんまり気の毒になつてしまつて、おれのからだなどは、支那《しな》人が六十銭まうけて宿屋に行つて、鰯《いわし》の頭や菜つ葉汁をたべるかはりにくれてやらうとおもひながら答へました。
「支那人さん、もういゝよ。そんなに泣かなくてもいゝよ。おれは町にはひつたら、あまり声を出さないやうにしよう。安心しな。」すると外の支那人は、やつと胸をなでおろしたらしく、ほおといふ息の声も、ぽんぽんと足を叩《たた》い
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