の眼《め》は達二を怖《おそ》れて、横の方を向いてゐました。達二は叫びました。
「あ、居だが。馬鹿だな。奴《うな》は。さ、歩《あ》べ。」
 雷と風の音との中から、微《かす》かに兄さんの声が聞えました。
「おゝい。達二。居るが。達二。達二。」
 達二はよろこんでとびあがりました。
「おゝい。居る、居る。兄《あい》なぁ。おゝい。」
 達二は、牛の手綱をその首から解いて、引きはじめました。
 黒い路が又ひょっくり草の中にあらはれました。そして達二の兄さんが、とつぜん、眼の前に立ちました。達二はしがみ付きました。
「探《さが》したぞ。こんたな処《どご》まで来て。何《な》して黙って彼処《あそご》に居なぃがった。おぢいさん、うんと心配してるぞ。さ、早く歩《あ》べ。」
「牛ぁ逃げだだも。」
「牛ぁ逃げだ。はあ、さうが。何にびっくりしたたがな。すっかりぬれだな。さあ、俺《おら》のけら着ろ。」
「一向寒ぐなぃ。兄《あい》な[#「な」は小書き]のなは大きくて引き擦《ず》るがらわがん[#「ん」は小書き]なぃ。」
「さうが。よしよし。まづ歩《あ》べ。おぢいさん、火たいで待ってるがらな。」
 緩い傾斜を、二つ程昇り降りしました。それから、黒い大きな路について、暫《しば》らく歩きました。
 稲光が二度ばかり、かすかに白くひらめきました。草を焼く匂《にほひ》がして、霧の中を煙がほっと流れてゐます。
 達二の兄さんが叫びました。
「おぢいさん。居だ、居だ。達二ぁ居だ。」
 おぢいさんは霧の中に立ってゐて、
「あゝさうが。心配した、心配した。あゝ好《え》がった。おゝ達二。寒がべぁ、さあ入れ。」と云ひました。
 半分に焼けた大きな栗の木の根もとに、草で作った小さな囲ひがあって、チョロチョロ赤い火が燃えてゐました。
 兄さんは牛を楢《なら》の木につなぎました。
 馬もひひんと鳴いてゐます。
「おゝむぞやな。な。何ぼが泣いだがな。さあさあ団子たべろ。食べろ。な。今こっちを焼ぐがらな。全体何処迄行ってだった。」
「笹長根《ささながね》の下《お》り口だ。」と兄が答へました。
「危ぃがった。危ぃがった。向ふさ降りだらそれっ切りだったぞ。さあ達二。団子喰べろ。ふん。まるっきり馬こみだぃに食ってる。さあさあ、こいづも食べろ。」
「おぢいさん。今のうぢに草片附げで来るべが。」と達二の兄さんが云ひました。
「うんにゃ。も
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