べさせました。ポーセはおいしそうに三《み》さじばかり喰《た》べましたら急《きゅう》にぐたっとなっていきをつかなくなりました。おっかさんがおどろいて泣《な》いてポーセの名を呼《よ》びながら一生《いっしょう》けん命《めい》ゆすぶりましたけれども、ポーセの汗《あせ》でしめった髪《け》の頭はただゆすぶられた通りうごくだけでした。チュンセはげんこを眼《め》にあてて、虎《とら》の子供《こども》のような声で泣きました。
 それから春になってチュンセは学校も六年でさがってしまいました。チュンセはもう働《はたら》いているのです。春に、くるみの木がみんな青い房《ふさ》のようなものを下げているでしょう。その下にしゃがんで、チュンセはキャベジの床《とこ》をつくっていました。そしたら土の中から一ぴきのうすい緑《みどり》いろの小さな蛙《かえる》がよろよろと這《は》って出て来ました。
「かえるなんざ、潰《つぶ》れちまえ。」チュンセは大きな稜石《かどいし》でいきなりそれを叩《たた》きました。
 それからひるすぎ、枯《か》れ草の中でチュンセがとろとろやすんでいましたら、いつかチュンセはぼおっと黄いろな野原のようなところを歩いて行《ゆ》くようにおもいました。すると向《むこ》うにポーセがしもやけのある小さな手で眼《め》をこすりながら立っていてぼんやりチュンセに云《い》いました。
「兄さんなぜあたいの青いおべべ裂《さ》いたの。」チュンセはびっくりしてはね起《お》きて一生けん命そこらをさがしたり考えたりしてみましたがなんにもわからないのです。どなたかポーセを知っているかたはないでしょうか。けれども私《わたくし》にこの手紙を云いつけたひとが云っていました「チュンセはポーセをたずねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいているひとでも、汽車の中で苹果《りんご》をたべているひとでも、また歌う鳥や歌わない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから。チュンセがもしもポーセをほんとうにかあいそうにおもうなら大きな勇気《ゆうき》を出してすべてのいきもののほんとうの幸福《こうふく》をさがさなければいけない。それはナムサダルマプフンダリカサスートラというものである。チュンセがもし勇気のあるほんとうの男の子ならなぜまっしぐらにそれ
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