ので、その進《すゝ》んで行《い》つた鹿《しか》はびつくりして立《た》ちどまつてしまひ、こつちのみんなもびくつとしました。けれども鹿《しか》はやつとまた気《き》を落《お》ちつけたらしく、またそろりそろりと進《すゝ》んで、たうたう手拭《てぬぐひ》まで鼻《はな》さきを延《の》ばした。
 こつちでは五|疋《ひき》がみんなことりことりとお互《たがひ》にうなづき合《あ》つて居《を》りました。そのとき俄《には》かに進《すゝ》んで行《い》つた鹿《しか》が竿立《さをだ》ちになつて躍《をど》りあがつて遁《に》げてきました。
「何《な》して遁《に》げできた。」
「気味悪《きびわり》ぐなてよ。」
「息《いぎ》吐《つ》でるが。」
「さあ、息《いぎ》の音《おど》あ為《さ》ないがけあな。口《くぢ》も無《な》いやうだけあな。」
「あだまあるが。」
「あだまもゆぐわがらないがつたな。」
「そだらこんだおれ行《い》つて見《み》べが。」
四番目《よばんめ》の鹿《しか》が出《で》て行《い》きました。これもやつぱりびくびくものです。それでもすつかり手拭《てぬぐひ》の前《まへ》まで行《い》つて、いかにも思《おも》ひ切《き》つたらしく、ちよつと鼻《はな》を手拭《てぬぐひ》に押《お》しつけて、それから急《いそ》いで引《ひ》つ込《こ》めて、一目《いちもく》さんに帰《かへ》つてきました。
「おう、柔《や》つけもんだぞ。」
「泥《どろ》のやうにが。」
「うんにや。」
「草《くさ》のやうにが。」
「うんにや。」
「ごまざい[#「ごまざい」に傍点]の毛《け》のやうにが。」
「うん、あれよりあ、も少《すこ》し硬《こわ》ぱしな。」
「なにだべ。」
「とにかぐ生《い》ぎもんだ。」
「やつぱりさうだが。」
「うん、汗臭《あせくさ》いも。」
「おれも一遍《ひとがへり》行《い》つてみべが。」
 五|番目《ばんめ》の鹿《しか》がまたそろりそろりと進《すゝ》んで行《い》きました。この鹿《しか》はよほどおどけもののやうでした。手拭《てぬぐひ》の上《うへ》にすつかり頭《あたま》をさげて、それからいかにも不審《ふしん》だといふやうに、頭《あたま》をかくつと動《うご》かしましたので、こつちの五|疋《ひき》がはねあがつて笑《わら》ひました。
 向《むか》ふの一|疋《ぴき》はそこで得意《とくい》になつて、舌《した》を出《だ》して手拭《てぬぐひ》を一つべろりと甞《な》めましたが、にはかに怖《こは》くなつたとみえて、大《おほ》きく口《くち》をあけて舌《した》をぶらさげて、まるで風《かぜ》のやうに飛《と》んで帰《かへ》つてきました。みんなもひどく愕《おど》ろきました。
「ぢや、ぢや、噛《か》ぢらへだが、痛《いた》ぐしたが。」
「プルルルルルル。」
「舌《した》抜《ぬ》がれだが。」
「プルルルルルル。」
「なにした、なにした。なにした。ぢや。」
「ふう、あゝ、舌《した》縮《ちゞ》まつてしまつたたよ。」
「なじよな味《あじ》だた。」
「味《あじ》無《な》いがたな。」
「生《い》ぎもんだべが。」
「なじよだが判《わか》らない。こんどあ汝《うな》あ行《い》つてみろ。」
「お。」
 おしまひの一|疋《ぴき》がまたそろそろ出《で》て行《い》きました。みんながおもしろさうに、ことこと頭《あたま》を振《ふ》つて見《み》てゐますと、進《すゝ》んで行《い》つた一|疋《ぴき》は、しばらく首《くび》をさげて手拭《てぬぐひ》を嗅《か》いでゐましたが、もう心配《しんぱい》もなにもないといふ風《ふう》で、いきなりそれをくわいて戻《もど》つてきました。そこで鹿《しか》はみなぴよんぴよん跳《と》びあがりました。
「おう、うまい、うまい、そいづさい取《と》つてしめば、あどは何《なん》つても怖《お》つかなぐない。」
「きつともて、こいづあ大きな蝸牛《なめくづら》の旱《ひ》からびだのだな。」
「さあ、いゝが、おれ歌《うだ》うだうはんてみんな廻《ま》れ。」
 その鹿《しか》はみんなのなかにはいつてうたひだし、みんなはぐるぐるぐるぐる手拭《てぬぐひ》をまはりはじめました。
「のはらのまん中《なか》の めつけもの
 すつこんすつこの 栃《とち》だんご
 栃《とち》のだんごは   結構《けつこう》だが
 となりにいからだ ふんながす
 青《あを》じろ番兵《ばんぺ》は   気《き》にかがる。
  青《あお》じろ番兵《ばんぺ》は   ふんにやふにや
 吠《ほ》えるもさないば 泣《な》ぐもさない
 瘠《や》せで長《なが》くて   ぶぢぶぢで
 どごが口《くぢ》だが   あだまだが
 ひでりあがりの  なめぐぢら。」
 走《はし》りながら廻《まは》りながら踊《おど》りながら、鹿《しか》はたびたび風《かぜ》のやうに進《すゝ》んで、手拭《てぬぐひ》を角《つの》でついたり足《あし》でふんだりしました。嘉十《かじふ》の手拭《てぬぐひ》はかあいさうに泥《どろ》がついてところどころ穴《あな》さへあきました。
 そこで鹿《しか》のめぐりはだんだんゆるやかになりました。
「おう、こんだ団子《だんご》お食《く》ばがりだぢよ。」
「おう、煮《に》だ団子だぢよ。」
「おう、まん円《まる》けぢよ。」
「おう、はんぐはぐ。」
「おう、すつこんすつこ。」
「おう、けつこ。」
 鹿《しか》はそれからみんなばらばらになつて、四方《しはう》から栃《とち》のだんごを囲《かこ》んで集《あつ》まりました。
 そしていちばんはじめに手拭《てぬぐひ》に進《すゝ》んだ鹿《しか》から、一口《ひとくち》づつ団子《だんご》をたべました。六|疋《ぴき》めの鹿《しか》は、やつと豆粒《まめつぶ》のくらゐをたべただけです。
 鹿《しか》はそれからまた環《わ》になつて、ぐるぐるぐるぐるめぐりあるきました。
 嘉十《かじふ》はもうあんまりよく鹿《しか》を見《み》ましたので、じぶんまでが鹿《しか》のやうな気《き》がして、いまにもとび出《だ》さうとしましたが、じぶんの大《おほ》きな手《て》がすぐ眼《め》にはいりましたので、やつぱりだめだとおもひながらまた息《いき》をこらしました。
 太陽《たいやう》はこのとき、ちやうどはんのきの梢《こずゑ》の中《なか》ほどにかかつて、少《すこ》し黄《き》いろにかゞやいて居《を》りました。鹿《しか》のめぐりはまただんだんゆるやかになつて、たがひにせわしくうなづき合《あ》ひ、やがて一|列《れつ》に太陽《たいやう》に向《む》いて、それを拝《おが》むやうにしてまつすぐに立《た》つたのでした。嘉十《かじふ》はもうほんたうに夢《ゆめ》のやうにそれに見《み》とれてゐたのです。
 一ばん右《みぎ》はじにたつた鹿《しか》が細《ほそ》い声《こゑ》でうたひました。
[#ここから1字下げ]
「はんの木《ぎ》の
 みどりみぢんの葉《は》の向《もご》さ
 ぢやらんぢやららんの
 お日《ひ》さん懸《か》がる。」
[#ここで字下げ終わり]
 その水晶《すゐしやう》の笛《ふえ》のやうな声《こゑ》に、嘉十《かじふ》は目《め》をつぶつてふるえあがりました。右《みぎ》から二ばん目《め》の鹿《しか》が、俄《には》かにとびあがつて、それからからだを波《なみ》のやうにうねらせながら、みんなの間《あひだ》を縫《ぬ》つてはせまはり、たびたび太陽《たいやう》の方《はう》にあたまをさげました。それからじぶんのところに戻《もど》るやぴたりととまつてうたひました。
[#ここから1字下げ]
「お日《ひ》さんを
 せながさしよへば、はんの木《ぎ》も
 くだげで光《ひか》る
 鉄《てつ》のかんがみ。」
[#ここで字下げ終わり]
 はあと嘉十《かじふ》もこつちでその立派《りつぱ》な太陽《たいやう》とはんのきを拝《おが》みました。右《みぎ》から三ばん目《め》の鹿《しか》は首《くび》をせはしくあげたり下《さ》げたりしてうたひました。
[#ここから1字下げ]
「お日《ひ》さんは
 はんの木《ぎ》の向《もご》さ、降《お》りでても
 すすぎ、ぎんがぎが
 まぶしまんぶし。」
[#ここで字下げ終わり]
 ほんたうにすすきはみんな、まつ白《しろ》な火《ひ》のやうに燃《も》えたのです。
[#ここから1字下げ]
「ぎんがぎがの
 すすぎの中《なが》さ立《た》ぢあがる
 はんの木《ぎ》のすねの
 長《な》んがい、かげぼうし。」
[#ここで字下げ終わり]
 五|番目《ばんめ》の鹿《しか》がひくく首《くび》を垂《た》れて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。
[#ここから1字下げ]
「ぎんがぎがの
 すすぎの底《そこ》の日暮《ひぐ》れかだ
 苔《こげ》の野《の》はらを
 蟻《あり》こも行《い》がず。」
[#ここで字下げ終わり]
 このとき鹿《しか》はみな首《くび》を垂《た》れてゐましたが、六|番目《ばんめ》がにはかに首《くび》をりんとあげてうたひました。
[#ここから1字下げ]
「ぎんがぎがの
 すすぎの底《そご》でそつこりと
 咲《さ》ぐうめばぢの
 愛《え》どしおえどし。」
[#ここで字下げ終わり]
 鹿《しか》はそれからみんな、みぢかく笛《ふゑ》のやうに鳴《な》いてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。
 北《きた》から冷《つめ》たい風《かぜ》が来《き》て、ひゆうと鳴《な》り、はんの木《き》はほんたうに砕《くだ》けた鉄《てつ》の鏡《かゞみ》のやうにかゞやき、かちんかちんと葉《は》と葉《は》がすれあつて音《おと》をたてたやうにさへおもはれ、すすきの穂《ほ》までが鹿《しか》にまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見《み》えました。
 嘉十《かじふ》はもうまつたくじぶんと鹿《しか》とのちがひを忘《わす》れて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫《さけ》びながらすすきのかげから飛《と》び出《だ》しました。
 鹿《しか》はおどろいて一度《いちど》に竿《さを》のやうに立《た》ちあがり、それからはやてに吹《ふ》かれた木《き》の葉《は》のやうに、からだを斜《なゝ》めにして逃《に》げ出《だ》しました。銀《ぎん》のすすきの波《なみ》をわけ、かゞやく夕陽《ゆふひ》の流《なが》れをみだしてはるかにはるかに遁《に》げて行《い》き、そのとほつたあとのすすきは静《しづ》かな湖《みづうみ》の水脈《みを》のやうにいつまでもぎらぎら光《ひか》つて居《を》りました。
 そこで嘉十《かじふ》はちよつとにが笑《わら》ひをしながら、泥《どろ》のついて穴《あな》のあいた手拭《てぬぐひ》をひろつてじぶんもまた西《にし》の方《はう》へ歩《ある》きはじめたのです。
 それから、さうさう、苔《こけ》の野原《のはら》の夕陽《ゆふひ》の中《なか》で、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋《あき》の風《かぜ》から聞《き》いたのです。



底本:「校本宮澤賢治全集 第十一巻」筑摩書房
   1974(昭和49)年9月15日初版発行
   1976(昭和51)年6月15日初版第2刷発行
※底本で、「鹿踊《しゝおどり》りの」となっていたところは、「鹿踊《しゝおど》りの、」に改めました。
※旧仮名遣いの表記は、混在も含めて底本通りにしました。
入力:OBaKe
校正:渡瀬淳志
2003年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング