》つてはせまはり、たびたび太陽《たいやう》の方《はう》にあたまをさげました。それからじぶんのところに戻《もど》るやぴたりととまつてうたひました。
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「お日《ひ》さんを
 せながさしよへば、はんの木《ぎ》も
 くだげで光《ひか》る
 鉄《てつ》のかんがみ。」
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 はあと嘉十《かじふ》もこつちでその立派《りつぱ》な太陽《たいやう》とはんのきを拝《おが》みました。右《みぎ》から三ばん目《め》の鹿《しか》は首《くび》をせはしくあげたり下《さ》げたりしてうたひました。
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「お日《ひ》さんは
 はんの木《ぎ》の向《もご》さ、降《お》りでても
 すすぎ、ぎんがぎが
 まぶしまんぶし。」
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 ほんたうにすすきはみんな、まつ白《しろ》な火《ひ》のやうに燃《も》えたのです。
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「ぎんがぎがの
 すすぎの中《なが》さ立《た》ぢあがる
 はんの木《ぎ》のすねの
 長《な》んがい、かげぼうし。」
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 五|番目《ばんめ》の鹿《しか》がひくく首《くび》を垂《た》れて、もうつぶやくやうにうたひだしてゐました。
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「ぎんがぎがの
 すすぎの底《そこ》の日暮《ひぐ》れかだ
 苔《こげ》の野《の》はらを
 蟻《あり》こも行《い》がず。」
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 このとき鹿《しか》はみな首《くび》を垂《た》れてゐましたが、六|番目《ばんめ》がにはかに首《くび》をりんとあげてうたひました。
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「ぎんがぎがの
 すすぎの底《そご》でそつこりと
 咲《さ》ぐうめばぢの
 愛《え》どしおえどし。」
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 鹿《しか》はそれからみんな、みぢかく笛《ふゑ》のやうに鳴《な》いてはねあがり、はげしくはげしくまはりました。
 北《きた》から冷《つめ》たい風《かぜ》が来《き》て、ひゆうと鳴《な》り、はんの木《き》はほんたうに砕《くだ》けた鉄《てつ》の鏡《かゞみ》のやうにかゞやき、かちんかちんと葉《は》と葉《は》がすれあつて音《おと》をたてたやうにさへおもはれ、すすきの穂《ほ》までが鹿《しか》にまぢつて一しよにぐるぐるめぐつてゐるやうに見《み》えました。
 嘉十《かじふ》はもうまつたくじぶんと鹿《しか》とのちがひを忘《わす》れて、
「ホウ、やれ、やれい。」と叫《さけ》びながらすすきのかげから飛《と》び出《だ》しました。
 鹿《しか》はおどろいて一度《いちど》に竿《さを》のやうに立《た》ちあがり、それからはやてに吹《ふ》かれた木《き》の葉《は》のやうに、からだを斜《なゝ》めにして逃《に》げ出《だ》しました。銀《ぎん》のすすきの波《なみ》をわけ、かゞやく夕陽《ゆふひ》の流《なが》れをみだしてはるかにはるかに遁《に》げて行《い》き、そのとほつたあとのすすきは静《しづ》かな湖《みづうみ》の水脈《みを》のやうにいつまでもぎらぎら光《ひか》つて居《を》りました。
 そこで嘉十《かじふ》はちよつとにが笑《わら》ひをしながら、泥《どろ》のついて穴《あな》のあいた手拭《てぬぐひ》をひろつてじぶんもまた西《にし》の方《はう》へ歩《ある》きはじめたのです。
 それから、さうさう、苔《こけ》の野原《のはら》の夕陽《ゆふひ》の中《なか》で、わたくしはこのはなしをすきとほつた秋《あき》の風《かぜ》から聞《き》いたのです。



底本:「校本宮澤賢治全集 第十一巻」筑摩書房
   1974(昭和49)年9月15日初版発行
   1976(昭和51)年6月15日初版第2刷発行
※底本で、「鹿踊《しゝおどり》りの」となっていたところは、「鹿踊《しゝおど》りの、」に改めました。
※旧仮名遣いの表記は、混在も含めて底本通りにしました。
入力:OBaKe
校正:渡瀬淳志
2003年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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