ん》からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ。」
会長さんはまっかになってどなりました。みんなはびっくりしてぱくぱく会長さんの袖《そで》を引っぱって無理《むり》に座《すわ》らせました。
すると山男は面倒臭《めんどうくさ》そうにふところから手を出して立ちあがりました。「ええ一寸《ちょっと》一言ご挨拶を申し上げます。今晩《こんばん》はあついおもてなしにあずかりまして千万《せんばん》かたじけなく思います。どういうわけでこんなおもてなしにあずかるのか先刻《せんこく》からしきりに考えているのです。やはりどうもその先頃《さきごろ》おたずねにあずかった紫紺《しこん》についてのようであります。そうしてみると私も本気で考え出さなければなりません。そう思って一生懸命《いっしょうけんめい》思い出しました。ところが私は子供《こども》のとき母が乳《ちち》がなくて濁《にご》り酒《ざけ》で育《そだ》ててもらったためにひどいアルコール中毒《ちゅうどく》なのであります。お酒を呑《の》まないと物《もの》を忘《わす》れるので丁度《ちょうど》みなさまの反対《はんたい》であります。そのためについビールも一本|失礼《しつれい》いたしました。そしてそのお蔭《かげ》でやっとおもいだしました。あれは現今《げんこん》西根山《にしねやま》にはたくさんございます。私のおやじなどはしじゅうあれを掘《ほ》って町へ来て売ってお酒《さけ》にかえたというはなしであります。おやじがどうもちかごろ紫紺《しこん》も買う人はなし困《こま》ったと云《い》ってこぼしているのも聞いたことがあります。それからあれを染《そ》めるには何でも黒いしめった土をつかうというはなしもぼんやりおぼえています。紫紺についてわたくしの知っているのはこれだけであります。それで何かのご参考《さんこう》になればまことにしあわせです。さて考えてみますとありがたいはなしでございます。私のおやじは紫紺の根を掘って来てお酒ととりかえましたが私は紫紺のはなしを一寸《ちょっと》すればこんなに酔《よ》うくらいまでお酒が呑《の》めるのです。
そらこんなに酔うくらいです。」
山男は赤くなった顔を一つ右手でしごいて席《せき》へ座《すわ》りました。
みんなはざわざわしました。工芸《こうげい》学校の先生は「黒いしめった土を使《つか》うこと」と手帳《てちょう》へ書いてポケットにしまいました。
そこでみんなは青いりんごの皮《かわ》をむきはじめました。山男もむいてたべました。そして実《み》をすっかりたべてからこんどはかまどをぱくりとたべました。それからちょっとそばをたべるような風にして皮もたべました。工芸《こうげい》学校の先生はちらっとそれを見ましたが知らないふりをしておりました。
さてだんだん夜も更《ふ》けましたので会長さんが立って、
「やあこれで解散《かいさん》だ。諸君《しょくん》めでたしめでたし。ワッハッハ。」とやって会は終《おわ》りました。
そこで山男は顔をまっかにして肩《かた》をゆすって一度《いちど》にはしごだんを四つくらいずつ飛《と》んで玄関《げんかん》へ降《お》りて行きました。
みんなが見送《みおく》ろうとあとをついて玄関まで行ったときは山男はもう居《い》ませんでした。
丁度《ちょうど》七つの森の一番はじめの森に片脚《かたあし》をかけたところだったのです。
さて紫紺染《しこんぞめ》が東京|大博覧会《だいはくらんかい》で二等賞《にとうしょう》をとるまでにはこんな苦心《くしん》もあったというだけのおはなしであります。
底本:「ポラーノの広場」角川文庫、角川書店
1996(平成8)年6月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
1995(平成7)年7月5日〜
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年5月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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