笑ひながら男の子をジヨバンニのとなりに坐らせました。
 それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席を指さしました。女の子はすなほにそこへ坐つてきちんと兩手を組み合せました。
「ぼく、おほねえさん。お父さんのとこへ行くんだよう。」腰掛けたばかりの男の子は顏を變にして、燈臺看守の向うの席に坐つたばかりの青年に云ひました。青年は何とも云へず悲しさうな顏をして、ぢつとその子の、ちぢれてぬれた頭を見ました。
 女の子は、いきなり兩手を顏にあててしくしく泣いてしまひました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事があるのです。けれどももうすぐあとからいらつしやいます。それよりも、おつかさんはどんなに永く待つていらつしやつたでせう。
 わたしの大事なタダシはいまどんな歌をうたつてゐるだらう、雪の降る朝にみんなと手をつないで、ぐるぐるにはとこのやぶをまはつてあそんでゐるだらうかと考へたり、ほんたうに待つて、心配していらつしやるんですから、早く行つて、おつかさんにお目にかかりませうね。」
「うん、だけど僕、船に乘らなけあよかつたなあ。」
「ええ、けれど、ごらんなさい。そら、どうです。あの立派な川、ね、あすこはあの夏中、ツヰンクル、ツヰンクル、リトル、スターをうたつてやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えてゐたでせう、あすこですよ。ね、きれいでせう、あんなに光つてゐます。」
 泣いてゐた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。青年は教へるやうにそつと姉弟にまた云ひました。
「わたしたちはもう、なんにもかなしいことはないのです。わたくしたちはこんないいとこを旅して、ぢき神さまのとこへ行きます。そこならもう、ほんたうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいつぱいです。そしてわたしたちの代りに、ボートへ乘れた人たちは、きつとみんな助けられて、心配して待つてゐるめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家やらへ行くのです。さあ、もうぢきですから元氣を出しておもしろくうたつて行きませう。」
 青年は男の子のぬれたやうな黒い髮をなで、みんなを慰めながら、自分もだんだん顏いろがかがやいて來ました。
「あなた方はどちらからいらつしやつたのですか。どうなすつたのですか。」
 さつきの燈臺看守がやつと少しわかつたやうに、青年にたづねました。
 青年はかすかにわらひました。
「いえ、氷山にぶつつかつて船が沈みましてね。わたしたちはこちらのお父さんが急な用で二ヶ月前、一足さきに本國へお歸りになつたので、あとから發つたのです。私は大學へはいつてゐて、家庭教師にやとはれてゐたのです。ところがちやうど十二日目、今日か昨日のあたりです。船が氷山にぶつつかつて一ぺんに傾き、もう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かつたのです。ところがボートは左舷の方半分はもうだめになつてゐましたから、とてもみんなは乘り切れないのです。もうそのうちにも船は沈みますし、私は必死となつて、どうか小さな人たちを乘せて下さいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いて、そして子供たちのために祈つて呉れました。けれどもそこからボートまでのところには、まだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇氣がなかつたのです。
 それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思ひましたから、前にゐる子供らを押しのけようとしました。けれどもまた、そんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方が、ほんたうにこの方たちの幸福だとも思ひました。
 それから、またその神にそむく罪はわたくしひとりでしよつてぜひとも助けてあげようと思ひました。
 けれども、どうしても見てゐるとそれができないのでした。
 子どもらばかりボートの中へはなしてやつて、お母さんが狂氣のやうにキスを送り、お父さんがかなしいのをぢつとこらへてまつすぐに立つてゐるなど、とてももう腸もちぎれるやうでした。そのうち船はもうずんずん沈みますから、私たちはかたまつて、もうすつかり覺悟して、この人たち二人を抱いて、浮べるだけは浮ばうと船の沈むのを待つてゐました。
 誰が投げたかライフヴイが一つ飛んで來ました。けれども滑つてずうつと向うへ行つてしまひました。
 私は一生けん命で甲板の格子になつたところをはなして、三人それにしつかりとりつきました。どこからともなく讚美歌の聲があがりました。たちまちみんなはいろいろな國語で一ぺんにそれを歌ひました。
 そのとき俄かに大きな音がして私たちは水に落ち、もう渦に入つたと思ひながらしつかりこの人たちをだいてそれからぼうつとしたと思つたらもうここへ來てゐたのです。
 この方たちのお母さんは一昨年歿くなられました。ええ、ボートはきつと助かつたにちがひ
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