この辺はひどい高原ですから。」うしろの方で誰《たれ》かとしよりらしい人のいま眼《め》がさめたという風ではきはき談している声がしました。
「とうもろこしだって棒で二尺も孔《あな》をあけておいてそこへ播《ま》かないと生えないんです。」
「そうですか。川まではよほどありましょうかねえ、」
「ええええ河までは二千尺から六千尺あります。もうまるでひどい峡谷《きょうこく》になっているんです。」
 そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。カムパネルラはまださびしそうにひとり口笛を吹き、女の子はまるで絹で包んだ苹果《りんご》のような顔いろをしてジョバンニの見る方を見ているのでした。突然《とつぜん》とうもろこしがなくなって巨《おお》きな黒い野原がいっぱいにひらけました。新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧《わ》きそのまっ黒な野原のなかを一人のインデアンが白い鳥の羽根を頭につけたくさんの石を腕《うで》と胸にかざり小さな弓に矢を番《つが》えて一目散《いちもくさん》に汽車を追って来るのでした。
「あら、インデアンですよ。インデアンですよ。ごらんなさい。」
 黒服の青年も眼をさましました。ジョバンニもカムパネルラも立ちあがりました。
「走って来るわ、あら、走って来るわ。追いかけているんでしょう。」
「いいえ、汽車を追ってるんじゃないんですよ。猟《りょう》をするか踊《おど》るかしてるんですよ。」青年はいまどこに居るか忘れたという風にポケットに手を入れて立ちながら云いました。
 まったくインデアンは半分は踊っているようでした。第一かけるにしても足のふみようがもっと経済もとれ本気にもなれそうでした。にわかにくっきり白いその羽根は前の方へ倒《たお》れるようになりインデアンはぴたっと立ちどまってすばやく弓を空にひきました。そこから一羽の鶴《つる》がふらふらと落ちて来てまた走り出したインデアンの大きくひろげた両手に落ちこみました。インデアンはうれしそうに立ってわらいました。そしてその鶴をもってこっちを見ている影《かげ》ももうどんどん小さく遠くなり電しんばしらの碍子《がいし》がきらっきらっと続いて二つばかり光ってまたとうもろこしの林になってしまいました。こっち側の窓を見ますと汽車はほんとうに高い高い崖《がけ》の上を走っていてその谷の底には川がやっぱり幅《はば》ひろく明るく流れていたのです。
「ええ、もうこの辺から下りです。何せこんどは一ぺんにあの水面までおりて行くんですから容易じゃありません。この傾斜《けいしゃ》があるもんですから汽車は決して向うからこっちへは来ないんです。そら、もうだんだん早くなったでしょう。」さっきの老人らしい声が云いました。
 どんどんどんどん汽車は降りて行きました。崖のはじに鉄道がかかるときは川が明るく下にのぞけたのです。ジョバンニはだんだんこころもちが明るくなって来ました。汽車が小さな小屋の前を通ってその前にしょんぼりひとりの子供が立ってこっちを見ているときなどは思わずほうと叫びました。
 どんどんどんどん汽車は走って行きました。室中《へやじゅう》のひとたちは半分うしろの方へ倒れるようになりながら腰掛《こしかけ》にしっかりしがみついていました。ジョバンニは思わずカムパネルラとわらいました。もうそして天の川は汽車のすぐ横手をいままでよほど激《はげ》しく流れて来たらしくときどきちらちら光ってながれているのでした。うすあかい河原《かわら》なでしこの花があちこち咲いていました。汽車はようやく落ち着いたようにゆっくりと走っていました。
 向うとこっちの岸に星のかたちとつるはしを書いた旗がたっていました。
「あれ何の旗だろうね。」ジョバンニがやっとものを云いました。
「さあ、わからないねえ、地図にもないんだもの。鉄の舟がおいてあるねえ。」
「ああ。」
「橋を架《か》けるとこじゃないんでしょうか。」女の子が云いました。
「あああれ工兵の旗だねえ。架橋《かきょう》演習をしてるんだ。けれど兵隊のかたちが見えないねえ。」
 その時向う岸ちかくの少し下流の方で見えない天の川の水がぎらっと光って柱のように高くはねあがりどぉと烈《はげ》しい音がしました。
「発破《はっぱ》だよ、発破だよ。」カムパネルラはこおどりしました。
 その柱のようになった水は見えなくなり大きな鮭《さけ》や鱒《ます》がきらっきらっと白く腹を光らせて空中に抛《ほう》り出されて円い輪を描いてまた水に落ちました。ジョバンニはもうはねあがりたいくらい気持が軽くなって云いました。
「空の工兵大隊だ。どうだ、鱒やなんかがまるでこんなになってはねあげられたねえ。僕こんな愉快な旅はしたことない。いいねえ。」
「あの鱒なら近くで見たらこれくらいあるねえ、たくさ
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