ない、やっちまえと思って渡しましたら、車掌はまっすぐに立ち直って叮寧《ていねい》にそれを開いて見ていました。そして読みながら上着のぼたんやなんかしきりに直したりしていましたし燈台看守も下からそれを熱心にのぞいていましたから、ジョバンニはたしかにあれは証明書か何かだったと考えて少し胸が熱くなるような気がしました。
「これは三次空間の方からお持ちになったのですか。」車掌がたずねました。
「何だかわかりません。」もう大丈夫《だいじょうぶ》だと安心しながらジョバンニはそっちを見あげてくつくつ笑いました。
「よろしゅうございます。南十字《サウザンクロス》へ着きますのは、次の第三時ころになります。」車掌は紙をジョバンニに渡して向うへ行きました。
カムパネルラは、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。ジョバンニも全く早く見たかったのです。ところがそれはいちめん黒い唐草《からくさ》のような模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見ていると何だかその中へ吸い込《こ》まれてしまうような気がするのでした。すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想《げんそう》第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈《はず》でさあ、あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」ジョバンニが赤くなって答えながらそれを又《また》畳んでかくしに入れました。そしてきまりが悪いのでカムパネルラと二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々大したもんだというようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき鷲《わし》の停車場だよ。」カムパネルラが向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較《みくら》べて云いました。
ジョバンニはなんだかわけもわからずににわかにとなりの鳥捕りが気の毒でたまらなくなりました。鷺《さぎ》をつかまえてせいせいしたとよろこんだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、ひとの切符をびっくりしたように横目で見てあわててほめだしたり、そんなことを一一考えていると、もうその見ず知らずの鳥捕りのために、ジョバンニの持っているものでも食べるものでもなんでもやってしまいたい、もうこの人のほんとうの幸《さいわい》になるなら自分があの光る天の川の河原《かわら》に立って百年つづけて立って鳥をとってやってもいいというような気がして、どうしてももう黙《だま》っていられなくなりました。ほんとうにあなたのほしいものは一体何ですか、と訊《き》こうとして、それではあんまり出し抜《ぬ》けだから、どうしようかと考えて振《ふ》り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。網棚《あみだな》の上には白い荷物も見えなかったのです。また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度《したく》をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖《とが》った帽子も見えませんでした。
「あの人どこへ行ったろう。」カムパネルラもぼんやりそう云っていました。
「どこへ行ったろう。一体どこでまたあうのだろう。僕《ぼく》はどうしても少しあの人に物を言わなかったろう。」
「ああ、僕もそう思っているよ。」
「僕はあの人が邪魔《じゃま》なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
「何だか苹果《りんご》の匂《におい》がする。僕いま苹果のこと考えたためだろうか。」カムパネルラが不思議そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから野茨《のいばら》の匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。いま秋だから野茨の花の匂のする筈はないとジョバンニは思いました。
そしたら俄《にわ》かにそこに、つやつやした黒い髪《かみ》の六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけずひどくびっくりしたような顔をしてがたがたふるえてはだしで立っていました。隣《とな》りには黒い洋服をきちんと着たせいの高い青年が一ぱいに風に吹《ふ》かれているけやきの木のような姿勢で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ。」青年のうしろにもひとり十二ばかりの眼の茶いろな可愛《かあい》らしい女の子が黒い外套《がいとう》を着て青年の腕《うで》にすがって不思議
前へ
次へ
全22ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング