手をだしてにこにこにこにこわらったよ。ぼくおっかさん。りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。ああここさっきの汽車のなかだねえ。」
「その苹果《りんご》がそこにあります。このおじさんにいただいたのですよ。」青年が云いました。
「ありがとうおじさん。おや、かおるねえさんまだねてるねえ、ぼくおこしてやろう。ねえさん。ごらん、りんごをもらったよ。おきてごらん。」
 姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。男の子はまるでパイを喰《た》べるようにもうそれを喰べていました、また折角《せっかく》剥《む》いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜《ぬ》きのような形になって床《ゆか》へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
 二人はりんごを大切にポケットにしまいました。
 川下の向う岸に青く茂《しげ》った大きな林が見え、その枝《えだ》には熟してまっ赤に光る円い実がいっぱい、その林のまん中に高い高い三角標が立って、森の中からはオーケストラベルやジロフォンにまじって何とも云えずきれいな音いろが、とけるように浸《し》みるように風につれて流れて来るのでした。
 青年はぞくっとしてからだをふるうようにしました。
 だまってその譜《ふ》を聞いていると、そこらにいちめん黄いろやうすい緑の明るい野原か敷物かがひろがり、またまっ白な蝋《ろう》のような露《つゆ》が太陽の面を擦《かす》めて行くように思われました。
「まあ、あの烏《からす》。」カムパネルラのとなりのかおると呼ばれた女の子が叫びました。
「からすでない。みんなかささぎだ。」カムパネルラがまた何気なく叱《しか》るように叫びましたので、ジョバンニはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。まったく河原《かわら》の青じろいあかりの上に、黒い鳥がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまってじっと川の微光《びこう》を受けているのでした。
「かささぎですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」青年はとりなすように云いました。
 向うの青い森の中の三角標はすっかり汽車の正面に来ました。そのとき汽車のずうっとうしろの方からあの聞きなれた〔約二字分空白〕番の讃美歌《さんびか》のふしが聞えてきました。よほどの人数で合唱しているらしいのでした。青年はさっと顔いろが青ざめ
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