》のことを考えたためだろうか」カムパネルラが不思議《ふしぎ》そうにあたりを見まわしました。
「ほんとうに苹果《りんご》のにおいだよ。それから野茨《のいばら》のにおいもする」
 ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓《まど》からでもはいって来るらしいのでした。いま秋だから野茨《のいばら》の花のにおいのするはずはないとジョバンニは思いました。
 そしたらにわかにそこに、つやつやした黒い髪《かみ》の六つばかりの男の子が赤いジャケツのぼたんもかけず、ひどくびっくりしたような顔をして、がたがたふるえてはだしで立っていました。隣《とな》りには黒い洋服《ようふく》をきちんと着《き》たせいの高い青年がいっぱいに風に吹《ふ》かれているけやきの木のような姿勢《しせい》で、男の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこでしょう。まあ、きれいだわ」青年のうしろに、もひとり、十二ばかりの眼《め》の茶いろな可愛《かわい》らしい女の子が、黒い外套《がいとう》を着《き》て青年の腕《うで》にすがって不思議《ふしぎ》そうに窓《まど》の外を見ているのでした。
「ああ、ここはランカシャイヤだ。いや、コンネクテカット州《しゅう》だ。いや、ああ、ぼくたちはそらへ来たのだ。わたしたちは天へ行くのです。ごらんなさい。あのしるしは天上のしるしです。もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神《かみ》さまに召《め》されているのです」黒服《くろふく》の青年はよろこびにかがやいてその女の子に言《い》いました。けれどもなぜかまた額《ひたい》に深《ふか》く皺《しわ》を刻《きざ》んで、それにたいへんつかれているらしく、無理《むり》に笑《わら》いながら男の子をジョバンニのとなりにすわらせました。それから女の子にやさしくカムパネルラのとなりの席《せき》を指《ゆび》さしました。女の子はすなおにそこへすわって、きちんと両手《りょうて》を組み合わせました。
「ぼく、おおねえさんのとこへ行くんだよう」腰掛《こしか》けたばかりの男の子は顔を変《へん》にして燈台看守《とうだいかんしゅ》の向《む》こうの席《せき》にすわったばかりの青年に言《い》いました。青年はなんとも言《い》えず悲《かな》しそうな顔をして、じっとその子の、ちぢれたぬれた頭を見ました。女の子は、いきなり両手《りょうて》を顔にあててしくしく泣《な》いてしまいました。
「お父さんやきくよねえさんはまだいろいろお仕事《しごと》があるのです。けれどももうすぐあとからいらっしゃいます。それよりも、おっかさんはどんなに永《なが》く待《ま》っていらっしゃったでしょう。わたしの大事《だいじ》なタダシはいまどんな歌をうたっているだろう、雪《ゆき》の降《ふ》る朝にみんなと手をつないで、ぐるぐるにわとこのやぶをまわってあそんでいるだろうかと考えたり、ほんとうに待《ま》って心配《しんぱい》していらっしゃるんですから、早く行って、おっかさんにお目にかかりましょうね」
「うん、だけど僕《ぼく》、船に乗《の》らなけぁよかったなあ」
「ええ、けれど、ごらんなさい、そら、どうです、あの立派《りっぱ》な川、ね、あすこはあの夏じゅう、ツィンクル、ツィンクル、リトル、スターをうたってやすむとき、いつも窓《まど》からぼんやり白く見えていたでしょう。あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています」
 泣《な》いていた姉《あね》もハンケチで眼《め》をふいて外を見ました。青年は教えるようにそっと姉弟《きょうだい》にまた言《い》いました。
「わたしたちはもう、なんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅《たび》して、じき神《かみ》さまのとこへ行きます。そこならもう、ほんとうに明るくてにおいがよくて立派《りっぱ》な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代《か》わりにボートへ乗《の》れた人たちは、きっとみんな助《たす》けられて、心配《しんぱい》して待《ま》っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう」青年は男の子のぬれたような黒い髪《かみ》をなで、みんなを慰《なぐさ》めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいてきました。
「あなた方はどちらからいらっしゃったのですか。どうなすったのですか」
 さっきの燈台看守《とうだいかんしゅ》がやっと少しわかったように青年にたずねました。青年はかすかにわらいました。
「いえ、氷山《ひょうざん》にぶっつかって船が沈《しず》みましてね、わたしたちはこちらのお父さんが急《きゅう》な用《よう》で二か月前、一足さきに本国へお帰りになったので、あとから発《た》ったのです。私は大学へはいっていて、家庭教師《かていきょうし》にやとわれて
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