いました。そのとき、
「おまえはいったい何を泣《な》いているの。ちょっとこっちをごらん」いままでたびたび聞こえた、あのやさしいセロのような声が、ジョバンニのうしろから聞こえました。
ジョバンニは、はっと思って涙《なみだ》をはらってそっちをふり向《む》きました、さっきまでカムパネルラのすわっていた席《せき》に黒い大きな帽子《ぼうし》をかぶった青白い顔のやせた大人《おとな》が、やさしくわらって大きな一|冊《さつ》の本をもっていました。
「おまえのともだちがどこかへ行ったのだろう。あのひとはね、ほんとうにこんや遠くへ行ったのだ。おまえはもうカムパネルラをさがしてもむだだ」
「ああ、どうしてなんですか。ぼくはカムパネルラといっしょにまっすぐに行こうと言《い》ったんです」
「ああ、そうだ。みんながそう考える。けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ。おまえがあうどんなひとでも、みんな何べんもおまえといっしょに苹果《りんご》をたべたり汽車に乗《の》ったりしたのだ。だからやっぱりおまえはさっき考えたように、あらゆるひとのいちばんの幸福《こうふく》をさがし、みんなといっしょに早くそこに行くがいい、そこでばかりおまえはほんとうにカムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ」
「ああぼくはきっとそうします。ぼくはどうしてそれをもとめたらいいでしょう」
「ああわたくしもそれをもとめている。おまえはおまえの切符《きっぷ》をしっかりもっておいで。そして一しんに勉強《べんきょう》しなけぁいけない。おまえは化学《かがく》をならったろう、水は酸素《さんそ》と水素《すいそ》からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑《うたが》やしない。実験《じっけん》してみるとほんとうにそうなんだから。けれども昔《むかし》はそれを水銀《すいぎん》と塩《しお》でできていると言《い》ったり、水銀《すいぎん》と硫黄《いおう》でできていると言《い》ったりいろいろ議論《ぎろん》したのだ。みんながめいめいじぶんの神《かみ》さまがほんとうの神さまだというだろう、けれどもお互《たが》いほかの神《かみ》さまを信《しん》ずる人たちのしたことでも涙《なみだ》がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論《ぎろん》するだろう。そして勝負《しょうぶ》がつかないだろう。けれども、もしおまえが
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