く平太の大トランクがめづらしかったのです。みんなはだんだん近づきました。
「おお、みんな革だ※[#小書き平仮名ん、229−10]ぞ。」
「牛の革だんぞ。」
「あそごの曲った処ぁ牛の膝《ひざ》かぶの皮だな。」
なるほど平太の大トランクの締金の処には少しまがった膝の形の革きれもついてゐました。平太は子供らの云ふのを聞いて何とも云へず悲しい寂しい気がしてあぶなく泣かうとしました。
舟がだんだん近よりました。
船頭が平太のうしろの入日の雲の白びかりを手でさけるやうにしながらじっと平太を見てゐましたがだんだん近くになっていよいよその白い洋服を着た紳士が平太だとわかると高く叫びました。
「おゝ平太さん。待ぢでだあ※[#小書き平仮名ん、230−2]す。」
平太はあぶなく泣かうとしました。そしてトランクを運んで舟にのりました。舟はたちまち岸をはなれ岸の子供らはまだトランクのことばかり云ひ船頭もしきりにそのトランクを見ながら船を滑らせました。波がぴたぴた云ひ針金の綱はしんしんと鳴りました。それから西の雲の向ふに日が落ちたらしく波が俄《には》かに暗くなりました。向ふの岸に二人の人が待ってゐました。
舟は岸に着きました。
二人の中の一人が飛んで来ました。
「お待ぢ申して居りあ※[#小書き平仮名ん、230−9]した。お荷物は。」
それは平太の家の下男でした。平太はだまって眼をパチパチさせながらトランクを渡しました。下男はまるでひどく気が立ってその大きな革トランクをしょひました。
それから二人はうちの方へ蚊のくんくん鳴く桑畑の中を歩きました。
二人が大きな路《みち》に出て少し行ったとき、村長さんも丁度役場から帰った処でうしろの方から来ましたがその大トランクを見てにが笑ひをしました。
底本:「新修宮沢賢治全集 第九巻」筑摩書房
1979(昭和54)年7月15日初版第1刷
1983(昭和58)年12月20日初版第6刷
※底本は旧仮名ですが、拗促音は小書きされています。これにならい、ルビの拗促音も、小書きにしました。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2008年2月27日作成
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