ったり立ったり屈んだり横に歩いたりするのは大へん愉快さうでしたがどう云ふ訳か上下に交通するのがいやさうでした。
(こんなことは実に稀です。)
 だんだん工事が進みました。
 斉藤平太は人数を巧《うま》く組み合せて両方の終る日が丁度同じになるやうにやって置きましたから両方丁度同じ日にそれが終りました。
(こんなことは実に稀れです。)
 終りましたら大工さんたちはいよいよ変な顔をしてため息をついて黙って下ばかり見て居りました。
 斉藤平太は分教場の玄関から教員室へ入らうとしましたがどうしても行けませんでした。それは廊下がなかったからです。
(こんなことは実に稀《まれ》です。)
 斉藤平太はひどくがっかりして今度は急いで消防小屋に行きました。そして下の方をすっかり検分し今度は二階の相談所を見ようとしましたがどうしても二階に昇れませんでした。それは梯子《はしご》がなかったからです。
(こんなことは実に稀です。)
 そこで斉藤平太はすっかり気分を悪くしてそっと財布を開いて見ました。
 そしたら三円入ってゐましたのですぐその乗馬ズボンのまゝ渡しを越えて町へ行きました。
 それから汽車に乗りました。
 そして東京へ遁《に》げました。
 東京へ来たらお金が六銭残りました。斉藤平太はその六銭で二度ほど豆腐を食べました。
 それから仕事をさがしました。けれども語《ことば》がはっきりしないのでどこの家でも工場でも頭ごなしに追ひました。
 斉藤平太はすっかり困って口の中もカサカサしながら三日仕事をさがしました。
 それでもどこでも断わられたうとう楢岡《ならをか》工学校の卒業生の斉藤平太は卒倒しました。
 巡査がそれに水をかけました。
 区役所がそれを引きとりました。それからご飯をやりました。するとすっかり元気になりました。そこで区役所では撒水夫《さんすゐふ》に雇ひました。
 斉藤平太はうちへ葉書を出しました。
「エレベータとエスカレータの研究の為《ため》急に東京に参り候《さふらふ》、御不便ながら研究すむうちあの請負の建物はそのまゝお使ひ願ひ候」
 お父さんの村長さんは返事も出させませんでした。
 平太は夏は脚気《かくけ》にかゝり冬は流行感冒です。そして二年は経《た》ちました。
 それでもだんだん東京の事にもなれて来ましたのでつひには昔の専門の建築の方の仕事に入りました。則《すなは》ち平沢組
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