たのです。それでも何気なく申されますには、
(なるほど立派なもんだ。あまりよく出来てなんだか恐《こわ》いようだ。この天童《てんどう》はどこかお前に肖《に》ているよ。)
 須利耶さまは童子をふりかえりました。そしたら童子はなんだかわらったまま、倒れかかっていられました。須利耶さまは愕ろいて急いで抱《だ》き留《と》められました。童子はお父さんの腕の中で夢《ゆめ》のようにつぶやかれました。
(おじいさんがお迎《むか》いをよこしたのです。)
 須利耶さまは急いで叫ばれました。
(お前どうしたのだ。どこへも行ってはいけないよ。)
 童子が微《かす》かに云われました。
(お父さん。お許《ゆる》し下さい。私はあなたの子です。この壁は前にお父さんが書いたのです。そのとき私は王の……だったのですがこの絵ができてから王さまは殺されわたくしどもはいっしょに出家《しゅっけ》したのでしたが敵王《てきおう》がきて寺を焼《や》くとき二日ほど俗服《ぞくふく》を着てかくれているうちわたくしは恋人《こいびと》があってこのまま出家にかえるのをやめようかと思ったのです。)
 人々が集《あつま》って口々に叫びました。
(雁の童子だ。雁の童子だ。)
 童子はも一度、少し唇《くちびる》をうごかして、何かつぶやいたようでございましたが、須利耶さまはもうそれをお聞きとりなさらなかったと申します。
 私の知っておりますのはただこれだけでございます。」
 老人はもう行かなければならないようでした。私はほんとうに名残《なご》り惜《お》しく思い、まっすぐに立って合掌《がっしょう》して申しました。
「尊《とうと》いお物語《ものがたり》をありがとうございました。まことにお互《たが》い、ちょっと沙漠のへりの泉で、お眼にかかって、ただ一時を、一緒《いっしょ》に過ごしただけではございますが、これもかりそめのことではないと存《ぞん》じます。ほんの通りがかりの二人の旅人《たびびと》とは見えますが、実はお互がどんなものかもよくわからないのでございます。いずれはもろともに、善逝《スガタ》[※6]の示《しめ》された光の道を進み、かの無上菩提《むじょうぼだい》[※7]に至《いた》ることでございます。それではお別れいたします。さようなら。」
 老人は、黙って礼を返しました。何か云いたいようでしたが黙って俄かに向うを向き、今まで私の来た方の荒地《あ
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