ところがカン蛙は一言も物を云はずに、すっすっとそこらを歩いてゐたばかりです。
「あら、あたしもうきめたわ。」
「誰《たれ》にさ?」二疋は眼をぱちぱちさせました。
 カン蛙はまだすっすっと歩いてゐます。
「あの方だわ。」娘の蛙は左手で顔をかくして右手の指をひろげてカン蛙を指しました。
「おいカン君、お嬢さんがきみにきめたとさ。」
「何をさ?」
 カン蛙《がへる》はけろんとした顔つきをしてこっちを向きました。
「お嬢さんがおまへさんを連れて行くとさ。」
 カン蛙は急いでこっちへ来ました。
「お嬢さん今晩は、僕に何か用があるんですか。なるほど、さうですか。よろしい。承知しました。それで日はいつにしませう。式の日は。」
「八月二日がいゝわ。」
「それがいゝです。」カン蛙はすまして空を向きました。
 そこでは雲の峯がいままたペネタ型になって流れてゐます。
「そんならあたしうちへ帰ってみんなにさう云ふわ。」
「えゝ、」
「さよなら」
「さよならね。」
 ベン蛙とブン蛙はぶりぶり怒って、いきなりくるりとうしろを向いて帰ってしまひました。しゃくにさはったまぎれに、あの林の下の堰《せき》を、たゞ二足にちぇっちぇっと泳いだのでした。そのあとでカン蛙のよろこびやうと云ったらもうとてもありません。あちこちあるいてあるいて、東から二十日の月が登るころやっとうちに帰って寝ました。

          ※

 さてルラ蛙の方でも、いろいろ仕度をしたりカン蛙と談判をしたり、だんだん事がまとまりました。いよいよあさってが結婚式といふ日の明方、カン蛙は夢の中で、
「今日は僕はどうしてもみんなの所を歩いて明後日《あさって》の式に招待して来ないといけないな。」と云ひました。ところがその夜明方から朝にかけて、いよいよ雨が降りはじめました。林はガアガアと鳴り、カン蛙のうちの前のつめくさは、うす濁った水をかぶってぼんやりとかすんで見えました。それでもカン蛙は勇んで家を出ました。せきの水は濁って大へんに増し、幾本もの蓼《たで》やつゆくさは、すっかり水の中になりました、飛び込むのは一寸《ちょっと》こはいくらゐです。カン蛙は、けれども一本のたでから、ピチャンと水に飛び込んで、ツイツイツイツイ泳ぎました。泳ぎながらどんどん流されました。それでもとにかく向ふの岸にのぼりました。
 それから苔《こけ》の上をずんずん通り、
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