目《だめ》だな。」
「うん。それはさうさ。」
 さて雲のみねは全くくづれ、あたりは藍《あゐ》色になりました。そこでベン蛙とブン蛙とは、
「さよならね。」と云《い》ってカン蛙とわかれ、林の下の堰を勇ましく泳いで自分のうちに帰って行きました。

          ※

 あとでカン蛙《がへる》は腕を組んで考へました。桔梗《ききゃう》色の夕暗《ゆふやみ》の中です。
 しばらくしばらくたってからやっと「ギッギッ」と二声ばかり鳴きました。そして草原をペタペタ歩いて畑にやって参りました、
 それから声をうんと細くして、
「野鼠《のねずみ》さん、野鼠さん。まうし、まうし。」と呼びました。
「ツン。」と野鼠は返事をして、ひょこりと蛙の前に出て来ました。そのうすぐろい顔も、もう見えないくらゐ暗いのです。
「野鼠さん。今晩は。一つお前さんに頼みがあるんだが、きいて呉《く》れないかね。」
「いや、それはきいてあげよう。去年の秋、僕が蕎麦団子《そばだんご》を食べて、チブスになって、ひどいわづらひをしたときに、あれほど親身の介抱を受けながら、その恩を何でわすれてしまふもんかね。」
「さうか。そんなら一つお前さん、ゴム靴《ぐつ》を一足工夫して呉れないか。形はどうでもいいんだよ。僕がこしらへ直すから。」
「あゝ、いゝとも。明日の晩までにはきっと持って来てあげよう。」
「さうか。それはどうもありがたう。ではお願ひするよ。さよならね。」
 カン蛙は大よろこびで自分のおうちへ帰って寝てしまひました。

          ※

 次の晩方です。
 カン蛙は又畑に来て、
「野鼠さん。野鼠さん。まうし。まうし。」とやさしい声で呼びました。
 野鼠はいかにも疲れたらしく、目をとろんとして、はぁあとため息をついて、それに何だか大へん憤《おこ》って出て来ましたが、いきなり小さなゴム靴をカン蛙の前に投げ出しました。
「そら、カン蛙さん。取ってお呉れ。ひどい難儀をしたよ。大へんな手数をしたよ。命がけで心配したよ。僕はお前のご恩はこれで払ったよ。少し払ひ過ぎた位かしらん。」と云ひながら、野鼠はぷいっと行ってしまったのでした。
 カン蛙は、野鼠の激昂《げきかう》のあんまりひどいのに、しばらくは呆《あき》れてゐましたが、なるほど考へて見ると、それも無理はありませんでした。まづ野鼠は、たゞの鼠にゴム靴をたのむ、たゞの鼠は
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