人ずつ私の前をお通りなさい。」と云いました。
 学生どもは、そこで一人ずつ順々に、先生の前を通りながらノートを開いて見せました。
 先生はそれを一寸見てそれから一言か二言質問をして、それから白墨《はくぼく》でせなかに「及」とか「落」とか「同情及」とか「退校」とか書くのでした。
 書かれる間学生はいかにもくすぐったそうに首をちぢめているのでした。書かれた学生は、いかにも気がかりらしく、そっと肩をすぼめて廊下《ろうか》まで出て、友達に読んで貰《もら》って、よろこんだり泣いたりするのでした。ぐんぐんぐんぐん、試験がすんで、いよいよネネム一人になりました。ネネムがノートを出した時、フゥフィーボー博士は大きなあくびをやりましたので、ノートはスポリと先生に吸い込まれてしまいました。先生はそれを別段気にかけるでもないらしく、コクッと呑《の》んでしまって云いました。
「よろしい。ノートは大へんによく出来ている。そんなら問題を答えなさい。煙突《えんとつ》から出るけむりには何種類あるか。」
「四種類あります。もしその種類を申しますならば、黒、白、青、無色です。」
「うん。無色の煙《けむり》に気がついた所は、実にどうも偉《えら》い。そんなら形はどうであるか。」
「風のない時はたての棒、風の強い時は横の棒、その他はみみずなどの形。あまり煙の少ない時はコルク抜《ぬ》きのようにもなります。」
「よろしい。お前は今日の試験では一等だ。何か望みがあるなら云いなさい。」
「書記になりたいのです。」
「そうか。よろしい。わしの名刺《めいし》に向うの番地を書いてやるから、そこへすぐ今夜行きなさい。」
 ネネムは名刺を呉《く》れるかと思って待っていますと、博士はいきなり白墨をとり直してネネムの胸に、「セム二十二号。」と書きました。
 ネネムはよろこんで叮寧《ていねい》におじぎをして先生の処《ところ》から一足退きますと先生が低く、
「もう藁《わら》のオムレツが出来あがった頃《ころ》だな。」と呟《つぶ》やいてテーブルの上にあった革《かわ》のカバンに白墨のかけらや講義の原稿《げんこう》やらを、みんな一緒《いっしょ》に投げ込んで、小脇《こわき》にかかえ、さっき顔を出した窓からホイッと向うの向うの黒い家をめがけて飛び出しました。そしてネネムはまちをこめた黄色の夕暮《ゆうぐれ》の中の物干台にフゥフィーボー博士が無事に
前へ 次へ
全31ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング