エクや。よく帰っておいでだね。まあ、お前はわたしを忘れてしまったのかい。ああなさけない。」
 ネネムは少し面くらいましたが、ははあ、これはきっと人ちがいだと気がつきましたので急いで云いました。
「いいえ、おかみさん。私はクエクという人ではありません。私はペンネンネンネンネン・ネネムというのです。」
 するとその橙《だいだい》色の女のばけものはやっと気がついたと見えて俄《にわ》かに泣き顔をやめて云いました。
「これはどうもとんだ失礼をいたしました。あなたのおなりがあんまりせがれそっくりなもんですから。」
「いいえ。どう致《いた》しまして。私は今度はじめてムムネの市に出る処《ところ》です。」
「まあ、そうでしたか。うちのせがれも丁度あなたと同じ年ころでした。まあ、お髪《くし》のちぢれ工合《ぐあい》から、お耳のキラキラする工合、何から何までそっくりです。それにまあ、なめくじばけもの[#「なめくじばけもの」に傍線]のような柔《やわ》らかなおあしに、硬《かた》いはがねのわらじをはいて、なにが御志願でいらしゃるのやら。おお、うちのせがれもこんなわらじでどこを今ごろ、ポオ、ポオ、ポオ、ポオ。」とそのおかみさんばけものは泣き出しました。ネネムは困って、
「ね、おかみさん。あなたのむすこさんは、もうきっとどこかの書記になってるんでしょう。きっとじきお迎《むか》いをよこすにちがいありません。そんなにお泣きなさらなくてもいいでしょう。私は急ぎますからこれで失礼いたします。」と云いながらクラリオネットのようなすすり泣きの声をあとに、急いでそこを立ち去りました。
 さてそれから十五分でネネムはムムネの市までもう三チェーンの所まで来ました。ネネムはそこで髪《かみ》をすっかり直して、それから路《みち》ばたの水銀の流れで顔を洗い、市にはいって行く支度《したく》をしました。
 それからなるべく心を落ちつけてだんだん市に近づきますと、さすがはばけもの世界の首府のけはいは、早くもネネムに感じました。
 ノンノンノンノンノンといううなりは地の〔以下原稿数枚分焼失〕

「今授業中だよ。やかましいやつだ。用があるならはいって来い。」とどなりましたので、学校の建物はぐらぐらしました。
 ネネムはそこで思い切って、なるべく足音を立てないように二階にあがってその教室にはいりました。教室の広いことはまるで野原です。さ
前へ 次へ
全31ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング