しよう。仏経に従うならば五種浄肉は修業未熟のものにのみ許されたこと楞迦経《りょうがきょう》に明かである。これとても最後|涅槃経《ねはんぎょう》中には今より以後|汝等《なんじら》仏弟子の肉を食うことを許されずとされている。その五種浄肉とても前論士の云われた如き余り残忍なる行為《こうい》によらずしてというごとき簡単なるものではない。仏教中の様々の食制に関する考《かんがえ》は他に誰《たれ》か述べられる予定があったようであるから茲《ここ》にはこれを略する。但し最後に前論士は釈尊の終りに受けられた供養《くよう》が豚肉であるという、何という間違《まちが》いであるか豚肉ではない蕈《きのこ》の一種である。サンスクリットの両音相類似する所から軽卒《けいそつ》にもあのような誤りを見たのである。茲に於《おい》てか私は前論士の結論を以て前論士に酬《こた》える。仏教徒諸君、釈迦を見ならえ、釈迦の相似形となれ、釈迦の諸徳をみなその二万分一、五万分一、或《あるい》は二十万分一の縮尺《スケール》に於てこれを習修せよ。ああこの語気の軽薄《けいはく》なることよ。私はこれを自ら言いて更《さら》にそを口にした事を恥《は》じる
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