い柳のけむりが垂れ、その間を燕の形の黒いものが、ぐるぐる縫《ぬ》って進みました。
「さあ式場へ参りましょう。お前たち此処《ここ》で番をしておいで。」陳氏は英語で云って、それから私らは、その二人の子供らの敬礼をうしろに式場の天幕《テント》へ帰りました。
 もう式の始まるに、六分しかありませんでした。天幕の入口で、私たちはプログラムを受け取りました。それには表に
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 ビジテリアン大祭次第
挙祭挨拶
論難|反駁《はんぱく》
祭歌合唱
祈祷《きとう》
閉式挨拶
会食
会員紹介
余興    以上
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と刷ってあり私たちがそれを受け取った時丁度九時五分前でした。
 式場の中はぎっしりでした。それに人数もよく調べてあったと見えて、空いた椅子《いす》とてもあんまりなく、勿論《もちろん》腰《こし》かけないで立っている人などは一人もありませんでした。みんなで五百人はあったでしょう。その中には婦人たちも三分の一はあったでしょう。いろいろな服装や色彩《しきさい》が、処々《ところどころ》に配置された橙や青の盛花《もりばな》と入りまじり、秋の空気はすきとおって水のよう、信者たちも又《また》さっきとは打って変って、しいんとして式の始まるのを待っていました。
 アーチになった祭壇のすぐ下には、スナイダーを楽長とするオーケストラバンドが、半円陣《はんえんじん》を採り、その左には唱歌隊の席がありました。唱歌隊の中にはカナダのグロッコも居たそうですが、どの人かわかりませんでした。
 ところが祭壇の下オーケストラバンドの右側に、「異教徒席」「異派席」という二つの陶製の標札《ひょうさつ》が出て、どちらにも二十人ばかりの礼装をした人たちが座って居りました。中には今朝の自働車で見たような人も大分ありました。
 私もそこで陳氏と並んで一番うしろに席をとりました。陳氏はしきりに向うの異教徒席や異派席とプログラムとを比較《ひかく》しながらよほど気にかかる模様でした。とうとう、そっと私にささやきました。
「このプログラムの論難というのは向うのあの連中がやるのですね。」
「きっとそうでしょうね。」
「どうです、異派席の連中は、私たちの仲間にくらべては少し風采《ふうさい》でも何でも見劣《みおと》りするようですね。」
 私も笑いました。
「どうもそうのようですよ。」
 陳氏が又云い
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