へえ、そうですか、やめましょう。永々《ながなが》お世話《せわ》になりましたって斯《こ》う云《い》うんです。そしてすぐ服をぬいだはいいんですが実《じつ》はみじめなもんでした。着物《きもの》もシャツとずぼんだけ、もちろん財布《さいふ》もありません。小使室《こづかいしつ》から出されては寝《やす》む家さえないんです。その昼間のうちはシャツとズボン下だけで頭をかかえて一日小使室に居《い》ましたが夜になってからとうとう警部補《けいぶほ》にたたき出されてしまいました。バキチはすっかり悄気切《しょげき》ってぶらぶら町を歩きまわってとうとう夜中の十二時にタスケの厩《うまや》にもぐり込《こ》んだって云うんです。
 馬もびっくりしましたぁね、(おいどいつだい、何の用だい。)おどおどしながらはね起《お》きて身構《みがま》えをして斯《こ》うバキチに訊《き》いたってんです。
(誰《だれ》でもないよ、バキチだよ、もと巡査だよ、知らんかい。)バキチが横木《よこぎ》の下の所《ところ》で腹這《はらば》いのまま云いました。(さあ、知らないよ、バキチだなんて。おれは一向《いっこう》知らないよ。)と馬が云いました。」「馬がそう云ったんですか。」「馬がそう云ったそうですよ。わっしゃ馬から聞きやした。(おい、情《なさ》けないこと云うじゃないか、おいらはひどく餓《う》えてんだ。ちっとオートでも振《ふ》る舞《ま》えよ。)ところがタスケの馬も馬でさあ、面白《おもしろ》がってオペラのようにふしをつけて(なかなかやれないわたしのオート。)だなんてやったもんです。バキチもそこはのんきです。やっぱりふしをつけながら、(お呉《く》れよ、お呉れよ、お前のオートわたしにお呉れよ。)とうなっていました。そこへ丁度《ちょうど》わたしが通りかかりました。おい、おい、バキチ、あんまりみっともないざまはよせよ。一体馬を盗《ぬす》もうってのか。
 それとも宿《やど》がなくなって今夜|一晩《ひとばん》とめてもらいたいと云《い》うのか。バキチが頭を掻《か》きやした。いやどっちもだ、けれども馬を盗むよりとまるよりまず第一《だいいち》に、おれは何かが食いたいんだ。(以下原稿空白)



底本:「ポラーノの広場」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年6月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
   1995(平成7)年5月
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2009年8月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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