かだ》のところなのですが、私たちがこの気もちよいイギリス海岸に来るのを止めるわけにも行かず、時々別の用のあるふりをして来て見てゐて呉れたのです。もっと談してゐるうちに私はすっかりきまり悪くなってしまひました。なぜなら誰でも自分だけは賢こく、人のしてゐることは馬鹿《ばか》げて見えるものですが、その日そのイギリス海岸で、私はつくづくそんな考のいけないことを感じました。からだを刺されるやうにさへ思ひました。はだかになって、生徒といっしょに白い岩の上に立ってゐましたが、まるで太陽の白い光に責められるやうに思ひました。全くこの人は、救助区域があんまり下流の方で、とてもこのイギリス海岸まで手が及ばず、それにも係はらず私たちをはじめみんなこっちへも来るし、殊に小さな子供らまでが、何べん叱《しか》られてもあのあぶない瀬の処に行ってゐて、この人の形を遠くから見ると、遁げてどての蔭や沢のはんのきのうしろにかくれるものですから、この人は町へ行って、もう一人、人を雇ふかさうでなかったら救助の浮標《ブイ》を浮べて貰《もら》ひたいと話してゐるといふのです。
さうして見ると、昨日あの大きな石を用もないのに動かさうとしたのもその浮標の重りに使ふ心組からだったのです。おまけにあの瀬の処では、早くにも溺れた人もあり、下流の救助区域でさへ、今年になってから二人も救ったといふのです。いくら昨日までよく泳げる人でも、今日のからだ加減では、いつ水の中で動けないやうになるかわからないといふのです。何気なく笑って、その人と談《はな》してはゐましたが、私はひとりで烈《はげ》しく烈しく私の軽率を責めました。実は私はその日までもし溺《おぼ》れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐただけでした。全く私たちにはそのイギリス海岸の夏の一刻がそんなにまで楽しかったのです。そして私は、それが悪いことだとは決して思ひませんでした。
さてその人と私らは別れましたけれども、今度はもう要心して、あの十間ばかりの湾の中でしか泳ぎませんでした。
その時、海岸のいちばん北のはじまで溯《さかのぼ》って行った一人が、まっすぐに私たちの方へ走って戻って来ました。
「先生、岩に何かの足痕《あしあと》あらんす。」
私はすぐ壺穴《つぼあな》の小さいのだらうと思ひました。第三紀の泥岩で、どうせ昔の沼の岸ですから、何か哺乳《ほにゅう》類の足痕のあることもいかにもありさうなことだけれども、教室でだって手獣《しゅじゅう》の足痕の図まで黒板に書いたのだし、どうせそれが頭にあるから壺穴までそんな工合《ぐあひ》に見えたんだと思ひながら、あんまり気乗りもせずにそっちへ行って見ました。ところが私はぎくりとしてつっ立ってしまひました。みんなも顔色を変へて叫んだのです。
白い火山灰層のひとところが、平らに水で剥《は》がされて、浅い幅の広い谷のやうになってゐましたが、その底に二つづつ蹄《ひづめ》の痕のある大さ五寸ばかりの足あとが、幾つか続いたりぐるっとまはったり、大きいのや小さいのや、実にめちゃくちゃについてゐるではありませんか。その中には薄く酸化鉄が沈澱《ちんでん》してあたりの岩から実にはっきりしてゐました。たしかに足痕が泥につくや否や、火山灰がやって来てそれをそのまゝ保存したのです。私ははじめは粘土でその型をとらうと思ひました。一人がその青い粘土も持って来たのでしたが、蹄の痕があんまり深過ぎるので、どうもうまく行きませんでした。私は「あした石膏《せきかう》を用意して来よう」とも云ひました。けれどもそれよりいちばんいゝことはやっぱりその足あとを切り取って、そのまゝ学校へ持って行って標本にすることでした。どうせ又水が出れば火山灰の層が剥げて、新らしい足あとの出るのはたしかでしたし、今のは構はないで置いてもすぐ壊れることが明らかでしたから。
次の朝早く私は実習を掲示する黒板に斯《か》う書いて置きました。
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八月八日
農場実習 午前八時半より正午まで
除草、追肥 第一、七組
蕪菁《かぶら》播種《はしゅ》 第三、四組
甘藍《かんらん》中耕 第五、六組
養蚕実習 第二組
(午后イギリス海岸に於《おい》て第三紀|偶蹄《ぐうてい》類の足跡《そくせき》標本を採収すべきにより希望者は参加すべし。)
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そこで正直を申しますと、この小さな「イギリス海岸」の原稿は八月六日あの足あとを見つける前の日の晩宿直室で半分書いたのです。私はあの救助係の大きな石を鉄梃《かなてこ》で動かすあたりから、あとは勝手に私の空想を書いて行かうと思ってゐたのです。と
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