うか、とにかく日によって水が潮のやうに差し退きするときがあるのです。
 さうです。丁度一学期の試験が済んでその採点も終りあとは三十一日に成績を発表して通信簿を渡すだけ、私の方から云へばまあさうです、農場の仕事だってその日の午前で麦の運搬も終り、まあ一段落といふそのひるすぎでした。私たちは今年三度目、イギリス海岸へ行きました。瀬川の鉄橋を渡り牛蒡《ごぼう》や甘藍《キャベジ》が青白い葉の裏をひるがへす畑の間の細い道を通りました。
 みちにはすゞめのかたびらが穂を出していっぱいにかぶさってゐました。私たちはそこから製板所の構内に入りました。製板所の構内だといふことはもくもくした新らしい鋸屑《おがくづ》が敷かれ、鋸《のこぎり》の音が気まぐれにそこを飛んでゐたのでわかりました。鋸屑には日が照って恰度《ちゃうど》砂のやうでした。砂の向ふの青い水と救助区域の赤い旗と、向ふのブリキ色の雲とを見たとき、いきなり私どもはスヰーデンの峡湾にでも来たやうな気がしてどきっとしました。たしかにみんなさう云ふ気もちらしかったのです。製板の小屋の中は藍《あゐ》いろの影になり、白く光る円鋸《まるのこ》が四五|梃《ちゃう》壁にならべられ、その一梃は軸にとりつけられて幽霊のやうにまはってゐました。
 私たちはその横を通って川の岸まで行ったのです。草の生えた石垣《いしがき》の下、さっきの救助区域の赤い旗の下には筏《いかだ》もちやうど来てゐました。花城《くゎじゃう》や花巻の生徒がたくさん泳いで居《を》りました。けれども元来私どもはイギリス海岸に行かうと思ったのでしたからだまってそこを通りすぎました。そしてそこはもうイギリス海岸の南のはじなのでした。私たちでなくたって、折角川の岸までやって来ながらその気持ちのいゝ所に行かない人はありません。町の雑貨商店や金物店の息子たち、夏やすみで帰ったあちこちの中等学校の生徒、それからひるやすみの製板の人たちなどが、或《あるい》は裸になって二人三人づつそのまっ白な岩に座ったり、また網シャツやゆるい青の半ずぼんをはいたり、青白い大きな麦稈《むぎわら》帽をかぶったりして歩いてゐるのを見て行くのは、ほんたうにいゝ気持でした。
 そしてその人たちが、みな私どもの方を見てすこしわらってゐるのです。殊に一番いゝことは、最上等の外国犬が、向ふから黒い影法師と一緒に、一目散に走って来たこと
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