たことが、別の世界のことのように思われてきました。
「やっぱり何かあるのかねえ。」
「あるよ。だってまだこれどこではないんだもの。」
「こんなに方角がわからないとすれば、やっぱり昔の伝説のようにあかしの番号を読んで行かなければならないんだが、ぜんたい、いくらまで数えて行けばポラーノの広場に着くって?」
「五千だよ。」
「五千? ここはいくらと云ったねえ。」
「三千ぐらいだよ。」
「じゃ、北へ行けば数がふえるか西へ行けばふえるか、しらべて見ようか。」
 その時でした。
「ハッハッハ。お前たちもポラーノの広場へ行きてえのか。」うしろで大きな声で笑うものがいました。
「何だい、山猫の馬車|別当《べっとう》め。」ミーロが云いました。
「三人で這いまわって、あかりの数を数えてるんだな。ハッハッハ。」足のまがった片眼のその爺《じい》さんは上着のポケットに手を入れたまま、また高くわらいました。
「数えてるさ、そんなら、じいさんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい。」ファゼーロが訊きました。
「あるさ。あるにはあるけれどもお前らのたずねているような、這いつくばって花の数を数えて行くような、そんなポラーノの広場はねえよ。」
「そんならどんなんがあるんだい。」
「もっといいのがあるよ。」
「どんなんだい。」
「まあ、お前たちには用がなかろうぜ。」じいさんはのどをくびっと鳴らしました。
「じいさんはしじゅう行くかい。」
「行かねえ訳でもねえよ、いいとこだからなあ。」
「じいさんは今夜は酔ってるねえ。」
「ああ上等の藁酒をやったからな。」じいさんはまたのどをくびっと鳴らしました。
「ぼくたちは行けないだろうかねえ。」
「行けねえよ、あっいけねえ、とうとう悪魔にやられた。」じいさんは額《ひたい》を押えてよろよろしました。甲《かぶと》むしが飛んで来て、ぶっつかったようすでした。
 ミーロが云いました。
「じいさん、ポラーノの広場の方角を教えてくれたら、おいらあ、じいさんに悪魔の歌をうたってきかせるぜ。」
「縁起でもねえ、まあもっと這《は》いまわって見ねえ。」
 じいさんはぷりぷり怒ってぐんぐんつめ草の上をわたって南の方へ行ってしまいました。
「じいさん。お待ちよ。また馬を冷しに連れてってやるからさ。」ファゼーロが叫びましたが、じいさんはどんどん行ってしまいました。ミーロはしばらくだまっていましたが、とうとうこらえきれないらしく、
「おい、おれ歌うからな。」と云いだしました。
 ファゼーロはそれどころではないようすでしたが、わたくしは前からミーロは歌がうまいだろうと思っていたので手を叩きました。ミーロは上着やシャツの上のぼたんをはずして息をすこし吸いました。
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「いのししむしゃのかぶとむし
つきのあかりもつめくさの
ともすあかりも眼に入らず
めくらめっぽに飛んで来て
山猫|馬丁《ばてい》につきあたり
あわててひょろひょろ
落ちるをやっとふみとまり
いそいでかぶとをしめなおし
月のあかりもつめくさの
ともすあかりも目に入らず
飛んでもない方に飛んで行く。」
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 ところが、そのじいさんの行った方から細い高い声で、
「ファゼーロ、ファゼーロ。」と呼んでいるようすです。
「ああ、姉さん、いま行くよ。」ファゼーロがそっちへ向いて高く叫びました。向うの声はやみました。
「だめだなあ、きっと旦那が呼んでるんだ。早く森まで行ってみればよかったねえ。」
 ミーロが俄かに勢がついて早口に云いました。
「大丈夫だよ。おれはね、どうもあの馬車|別当《べっとう》だの町の乾物屋のおやじだの、あやしいと思っていたんだ。このごろはいつでも酔っているんだ、きっとあいつらがポラーノの広場を知ってるぜ。それにおれは野原でおかしな風に枯草を積んだ荷馬車に何べんもあってるんだ。ファゼーロ、お前ね、なんにも知らないふりして今夜はうちへ帰って寝ろ。おれはきっと五六日のうちにポラーノの広場をさがすから。」
「そうかい。ぼくにはよくわからないなあ。」
 そのときまた声がしました。
「ファゼーロ、おいで。お使いに町へ行くんだって。」
「ああいま行くよ。ぼくは旦那のとこへまっすぐに行くんだが、おまえはひとりで競馬場へ帰れるかい。」
「帰れるとも、ここらはひるまならたびたび来るとこなんだ。じゃ、地図はあげるよ。」
「うん、ミーロへやってこう。ぼくひるは野原へ来るひまがないんだから。」
 そのとき向うのつめくさの花と月のあかりのなかに、うつくしい娘が立っていました。ファゼーロが云いました。
「姉さん、この人だよ。ぼく地図をもらったよ。」
 その娘はこっちへ出てこないで、だまっておじぎをしました。わたくしもだまっておじぎをしました。
「じゃ、さよなら、早く行
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