お日さまがあすこをお通りになって、山へおはいりになりますと、あすこは月見草《つきみそう》の花びらのようになります。それもまもなくしぼんで、やがてたそがれ前の銀色《ぎんいろ》と、それから星をちりばめた夜とが来ます。
そのころ、私は、どこへ行き、どこに生まれているでしょう。また、この眼《め》の前の、美《うつく》しい丘《おか》や野原《のはら》も、みな一|秒《びょう》ずつけずられたりくずれたりしています。けれども、もしも、まことのちからが、これらの中にあらわれるときは、すべてのおとろえるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。わたくしでさえ、ただ三|秒《びょう》ひらめくときも、半時《はんとき》空にかかるときもいつもおんなじよろこびです」
「けれども、あなたは、高く光のそらにかかります。すべて草や花や鳥は、みなあなたをほめて歌います」
「それはあなたも同じです。すべて私に来て、私をかがやかすものは、あなたをもきらめかします。私に与えられたすべてのほめことばは、そのままあなたに贈《おく》られます。ごらんなさい。まことの瞳《ひとみ》でものを見る人は、人の王のさかえの極《きわ》みをも、野の百合《ゆり》の一つにくらべようとはしませんでした。それは、人のさかえをば、人のたくらむように、しばらくまことのちから、かぎりないいのちからはなしてみたのです。もしそのひかりの中でならば、人のおごりからあやしい雲と湧《わ》きのぼる、塵《ちり》の中のただ一抹《いちまつ》も、神《かみ》の子のほめたもうた、聖《せい》なる百合《ゆり》に劣《おと》るものではありません」
「私を教えてください。私を連《つ》れて行ってください。私はどんなことでもいたします」
「いいえ私はどこへも行きません。いつでもあなたのことを考えています。すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすむ人は、いつでもいっしょに行くのです。いつまでもほろびるということはありません。けれども、あなたは、もう私を見ないでしょう。お日様《ひさま》があまり遠くなりました。もずが飛《と》び立ちます。私はあなたにお別《わか》れしなければなりません」
停車場《ていしゃじょう》の方で、鋭《するど》い笛《ふえ》がピーと鳴りました。
もずはみな、一ぺんに飛《と》び立って、気違《きちが》いになったばらばらの楽譜《がくふ》のように、やかましく鳴きながら、東の方へ飛《と》んで行きました。
めくらぶどうは高く叫《さけ》びました。
「虹《にじ》さん。私をつれて行ってください。どこへも行かないでください」
虹《にじ》はかすかにわらったようでしたが、もうよほどうすくなって、はっきりわかりませんでした。
そして、今はもう、すっかり消《き》えました。
空は銀色《ぎんいろ》の光を増《ま》し、あまり、もずがやかましいので、ひばりもしかたなく、その空へのぼって、少しばかり調子《ちょうし》はずれの歌をうたいました。
底本:「銀河鉄道の夜」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年7月20日改版初版発行
1993(平成5)年6月20日改版71版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:薦田佳子
校正:平野彩子
2000年8月25日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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