びくうごきました。楢夫がまだすがりついてゐたので鬼が又鞭をあげました。
「楢夫は許して下さい。楢夫は許して下さい。」一郎は泣いて叫びました。
「歩け。」鞭が又鳴りましたので一郎は両腕であらん限り楢夫をかばひました。かばひながら一郎はどこからか
「にょらいじゅりゃうぼん第十六。」といふやうな語《ことば》がかすかな風のやうに又|匂《にほひ》のやうに一郎に感じました。すると何だかまはりがほっと楽になったやうに思って
「にょらいじゅりゃうぼん。」と繰り返してつぶやいてみました。すると前の方を行く鬼が立ちどまって不思議さうに一郎をふりかへって見ました。列もとまりました。どう云ふわけか鞭の音も叫び声もやみました。しぃんとなってしまったのです。気がついて見るとそのうすくらい赤い瑪瑙《めなう》の野原のはづれがぼうっと黄金《きん》いろになってその中を立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。どう云ふわけかみんなはほっとしたやうに思ったのです。

      四、光のすあし

 その人の足は白く光って見えました。実にはやく実にまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。まっ白な足さきが二度ばかり光りもうその人は一郎の近くへ来てゐました。
 一郎はまぶしいやうな気がして顔をあげられませんでした。その人ははだしでした。まるで貝殻のやうに白くひかる大きなすあしでした。くびすのところの肉はかゞやいて地面まで垂れてゐました。大きなまっ白なすあしだったのです。けれどもその柔らかなすあしは鋭い鋭い瑪瑙《めなう》のかけらをふみ燃えあがる赤い火をふんで少しも傷つかず又|灼《や》けませんでした。地面の棘《とげ》さへ又折れませんでした。
「こはいことはないぞ。」微《かす》かに微かにわらひながらその人はみんなに云ひました。その大きな瞳《ひとみ》は青い蓮《はす》のはなびらのやうにりんとみんなを見ました。みんなはどう云ふわけともなく一度に手を合わせました。
「こはいことはない。おまへたちの罪はこの世界を包む大きな徳の力にくらべれば太陽の光とあざみの棘のさきの小さな露のやうなもんだ。なんにもこはいことはない。」
 いつの間にかみんなはその人のまはりに環《わ》になって集って居りました。さっきまであんなに恐ろしく見えた鬼どもがいまはみなすなほにその大きな手を合せ首を低く垂れてみんなのうしろに立ってゐたのです。
 その人はしづかにみんなを見まはしました。
「みんなひどく傷を受けてゐる。それはおまへたちが自分で自分を傷つけたのだぞ。けれどもそれも何でもない、」その人は大きなまっ白な手で楢夫《ならを》の頭をなでました。楢夫も一郎もその手のかすかにほほの花のにほひのするのを聞きました。そしてみんなのからだの傷はすっかり癒《なほ》ってゐたのです。
 一人の鬼がいきなり泣いてその人の前にひざまづきました。それから頭をけはしい瑪瑙の地面に垂れその光る足を一寸《ちょっと》手でいたゞきました。
 その人は又微かに笑ひました。すると大きな黄金《きん》いろの光が円い輪になってその人の頭のまはりにかゝりました。その人は云ひました。
「こゝは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる、けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さあご覧。」
 その人は少しかゞんでそのまっ白な手で地面に一つ輪をかきました。みんなは眼を擦《こす》ったのです。又耳を疑がったのです。今までの赤い瑪瑙の棘ででき暗い火の舌を吐いてゐたかなしい地面が今は平らな平らな波一つ立たないまっ青な湖水の面に変りその湖水はどこまでつづくのかはては孔雀石《くじゃくいし》の色に何条もの美しい縞《しま》になり、その上には蜃気楼《しんきろう》のやうにそしてもっとはっきりと沢山の立派な木や建物がじっと浮んでゐたのです。それらの建物はずうっと遠くにあったのですけれども見上げるばかりに高く青や白びかりの屋根を持ったり虹《にじ》のやうないろの幡《はた》が垂れたり、一つの建物から一つの建物へ空中に真珠のやうに光る欄干《らんかん》のついた橋廊がかかったり高い塔はたくさんの鈴や飾り網を掛けそのさきの棒はまっすぐに高くそらに立ちました。それらの建物はしんとして音なくそびえその影は実にはっきりと水面に落ちたのです。
 またたくさんの樹《き》が立ってゐました。それは全く宝石細工としか思はれませんでした。はんの木のやうなかたちでまっ青な樹もありました。楊《やなぎ》に似た木で白金のやうな小さな実になってゐるのもありました。みんなその葉がチラチラ光ってゆすれ互いにぶっつかり合って微妙な音をたてるのでした。
 それから空の方からはいろいろな楽器の音がさまざまのいろの光のこなと一所《いっしょ》に微《かす》かに降ってくるのでした。もっともっと愕
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