てそのまゝ泣いてゐたのです。一郎はすぐ走り戻ってだき起しました。そしてその手の雪をはらってやりそれから、
「さあも少しだ。歩げるが。」とたづねました。
「うん」と楢夫は云ってゐましたがその眼はなみだで一杯になりじっと向ふの方を見、口はゆがんで居りました。
雪がどんどん落ちて来ます。それに風が一そうはげしくなりました。二人は又走り出しましたけれどももうつまづくばかり一郎がころび楢夫がころびそれにいまはもう二人ともみちをあるいてるのかどうか前無かった黒い大きな岩がいきなり横の方に見えたりしました。
風がまたやって来ました。雪は塵《ちり》のやう砂のやうけむりのやう楢夫はひどくせき込んでしまひました。
そこはもうみちではなかったのです。二人は大きな黒い岩につきあたりました。
一郎はふりかへって見ました。二人の通って来たあとはまるで雪の中にほりのやうについてゐました。
「路まちがった。戻らなぃばわがなぃ。」
一郎は云っていきなり楢夫の手をとって走り出さうとしましたがもうたゞの一足ですぐ雪の中に倒れてしまひました。
楢夫はひどく泣きだしました。
「泣ぐな。雪はれるうぢ此処《こご》に居るべし泣ぐな。」一郎はしっかりと楢夫を抱いて岩の下に立って云ひました。
風がもうまるできちがひのやうに吹いて来ました。いきもつけず二人はどんどん雪をかぶりました。
「わがなぃ。わがなぃ。」楢夫が泣いて云ひました。その声もまるでちぎるやうに風が持って行ってしまひました。一郎は毛布をひろげてマントのまゝ楢夫《ならを》を抱きしめました。
一郎はこのときはもうほんたうに二人とも雪と風で死んでしまふのだと考えてしまひました。いろいろなことがまるでまはり燈籠《どうろう》のやうに見えて来ました。正月に二人は本家《ほんけ》に呼ばれて行ってみんながみかんをたべたとき楢夫がすばやく一つたべてしまっても一つを取ったので一郎はいけないといふやうにひどく目で叱《しか》ったのでした、そのときの楢夫の霜やけの小さな赤い手などがはっきり一郎に見えて来ました。いきが苦しくてまるでえらえらする毒をのんでゐるやうでした。一郎はいつか雪の中に座ってしまってゐました。そして一そう強く楢夫を抱きしめました。
三、うすあかりの国
けれどもけれどもそんなことはまるでまるで夢のやうでした。いつかつめたい針のやうな雪のこなもなんだかなまぬるくなり楢夫もそばに居なくなって一郎はたゞひとりぼんやりくらい藪《やぶ》のやうなところをあるいて居りました。
そこは黄色にぼやけて夜だか昼だか夕方かもわからずよもぎのやうなものがいっぱいに生えあちこちには黒いやぶらしいものがまるでいきもののやうにいきをしてゐるやうに思はれました。
一郎は自分のからだを見ました。そんなことが前からあったのか、いつかからだには鼠《ねずみ》いろのきれが一枚まきついてあるばかりおどろいて足を見ますと足ははだしになってゐて今までもよほど歩いて来たらしく深い傷がついて血がだらだら流れて居りました。それに胸や腹がひどく疲れて今にもからだが二つに折れさうに思はれました。一郎はにはかにこはくなって大声に泣きました。
けれどもそこはどこの国だったのでせう。ひっそりとして返事もなく空さへもなんだかがらんとして見れば見るほど変なおそろしい気がするのでした。それににはかに足が灼《や》くやうに傷《いた》んで来ました。
「楢夫は。」ふっと一郎は思ひ出しました。
「楢夫ぉ。」一郎はくらい黄色なそらに向って泣きながら叫びました。
しいんとして何の返事もありませんでした。一郎はたまらなくなってもう足の痛いのも忘れてはしり出しました。すると俄《には》かに風が起って一郎のからだについてゐた布はまっすぐにうしろの方へなびき、一郎はその自分の泣きながらはだしで走って行ってぼろぼろの布が風でうしろへなびいてゐる景色を頭の中に考へて一そう恐ろしくかなしくてたまらなくなりました。
「楢夫ぉ。」一郎は又叫びました。
「兄《あい》※[#小書き平仮名な、255−15]。」かすかなかすかな声が遠くの遠くから聞えました。一郎はそっちへかけ出しました。そして泣きながら何べんも「楢夫ぉ、楢夫ぉ。」と叫びました。返事はかすかに聞えたり又返事したのかどうか聞えなかったりしました。
一郎の足はまるでまっ赤になってしまひました。そしてもう痛いかどうかもわからず血は気味悪く青く光ったのです。
一郎ははしってはしって走りました。
そして向ふに一人の子供が丁度風で消えようとする蝋燭《らふそく》の火のやうに光ったり又消えたりぺかぺかしてゐるのを見ました。
それが顔に両手をあてて泣いてゐる楢夫《ならを》でした。一郎はそばへかけよりました。そしてにはかに足がぐらぐらして倒れまし
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