のこなもなんだかなまぬるくなり楢夫もそばに居なくなって一郎はたゞひとりぼんやりくらい藪《やぶ》のやうなところをあるいて居りました。
 そこは黄色にぼやけて夜だか昼だか夕方かもわからずよもぎのやうなものがいっぱいに生えあちこちには黒いやぶらしいものがまるでいきもののやうにいきをしてゐるやうに思はれました。
 一郎は自分のからだを見ました。そんなことが前からあったのか、いつかからだには鼠《ねずみ》いろのきれが一枚まきついてあるばかりおどろいて足を見ますと足ははだしになってゐて今までもよほど歩いて来たらしく深い傷がついて血がだらだら流れて居りました。それに胸や腹がひどく疲れて今にもからだが二つに折れさうに思はれました。一郎はにはかにこはくなって大声に泣きました。
 けれどもそこはどこの国だったのでせう。ひっそりとして返事もなく空さへもなんだかがらんとして見れば見るほど変なおそろしい気がするのでした。それににはかに足が灼《や》くやうに傷《いた》んで来ました。
「楢夫は。」ふっと一郎は思ひ出しました。
「楢夫ぉ。」一郎はくらい黄色なそらに向って泣きながら叫びました。
 しいんとして何の返事もありませんでした。一郎はたまらなくなってもう足の痛いのも忘れてはしり出しました。すると俄《には》かに風が起って一郎のからだについてゐた布はまっすぐにうしろの方へなびき、一郎はその自分の泣きながらはだしで走って行ってぼろぼろの布が風でうしろへなびいてゐる景色を頭の中に考へて一そう恐ろしくかなしくてたまらなくなりました。
「楢夫ぉ。」一郎は又叫びました。
「兄《あい》※[#小書き平仮名な、255−15]。」かすかなかすかな声が遠くの遠くから聞えました。一郎はそっちへかけ出しました。そして泣きながら何べんも「楢夫ぉ、楢夫ぉ。」と叫びました。返事はかすかに聞えたり又返事したのかどうか聞えなかったりしました。
 一郎の足はまるでまっ赤になってしまひました。そしてもう痛いかどうかもわからず血は気味悪く青く光ったのです。
 一郎ははしってはしって走りました。
 そして向ふに一人の子供が丁度風で消えようとする蝋燭《らふそく》の火のやうに光ったり又消えたりぺかぺかしてゐるのを見ました。
 それが顔に両手をあてて泣いてゐる楢夫《ならを》でした。一郎はそばへかけよりました。そしてにはかに足がぐらぐらして倒れまし
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