ございますか。私共に追いついておいでなさい。」
 楢夫が申しました。
「此処《ここ》へしるしを付けて行こう。うちへ帰る時、まごつくといけないから。」
 猿が、一度に、きゃっきゃっ笑いました。生意気にも、ただの兵隊の小猿まで、笑うのです。大将が、やっと笑うのをやめて申しました。
「いや、お帰りになりたい時は、いつでもお送りいたします。決してご心配はありません。それより、まあ、駈《か》ける用意をなさい。ここは最大急行で通らないといけません。」
 楢夫も仕方なく、駈け足のしたくをしました。
「さあ、行きますぞ。一二の三。」小猿はもう駈け出しました。
 楢夫も一生けん命、段をかけ上りました。実に小猿は速いのです。足音がぐゎんぐゎん響《ひび》き電燈が矢の様に次から次と下の方へ行きました。もう楢夫は、息が切れて、苦しくて苦しくてたまりません。それでも、一生けん命、駈けあがりました。もう、走っているかどうかもわからない位です。突然《とつぜん》眼の前がパッと青白くなりました。そして、楢夫は、眩《まぶ》しいひるまの草原の中に飛び出しました。そして草に足をからまれてばったり倒《たお》れました。そこは林に囲まれた小さな明地《あきち》で、小猿は緑の草の上を、列《なら》んでだんだんゆるやかに、三べんばかり廻《まわ》ってから、楢夫のそばへやって来ました。大将が鼻をちぢめて云いました。
「ああひどかった。あなたもお疲《つか》れでしょう。もう大丈夫《だいじょうぶ》です。これからはこんな切ないことはありません。」
 楢夫が息をはずませながら、ようやく起き上って云いました。
「ここはどこだい。そして、今頃《いまごろ》お日さまがあんな空のまん中にお出《い》でになるなんて、おかしいじゃないか。」
 大将が申しました。
「いや、ご心配ありません。ここは種山《たねやま》ヶ|原《はら》です。」
 楢夫がびっくりしました。
「種山ヶ原? とんでもない処《ところ》へ来たな。すぐうちへ帰れるかい。」
「帰れますとも。今度は下りですから訳ありません。」
「そうか。」と云いながら楢夫はそこらを見ましたが、もう今やって来たトンネルの出口はなく、却《かえ》って、向うの木のかげや、草のしげみのうしろで、沢山の小猿が、きょろきょろこっちをのぞいているのです。
 大将が、小さな剣をキラリと抜《ぬ》いて、号令をかけました。
「集れっ。」
 小猿が、バラバラ、その辺から出て来て、草原|一杯《いっぱい》もちゃもちゃはせ廻り、間もなく四つの長い列をつくりました。大将についていた二疋も、その中にまじりました。大将はからだを曲げるくらい一生けん命に号令をかけました。
「気を付けっ」「右いおい。」「なおれっ。」「番号。」実にみんなうまくやります。
 楢夫は愕《おどろ》いてそれを見ました。大将が楢夫の前に来て、まっすぐに立って申しました。
「演習をこれからやります。終りっ。」
 楢夫はすっかり面白《おもしろ》くなって、自分も立ちあがりましたが、どうも余りせいが高過ぎて、調子が変なので、又|座《すわ》って云いました。
「宜《よろ》しい。演習はじめっ。」
 小猿の大将がみんなへ云いました。
「これから演習をはじめる。今日は参観者もあるのだから、殊《こと》に注意しないといけない。左向けの時、右向けをした者、前へ進めを右足からはじめた者、かけ足の号令で腰に手をあげない者、みんな後で三つずつせ中をつねる。いいか。わかったか。八番。」
 八番の小猿が云いました。
「判《わか》りました。」
「よろしい。」大将は云いながら三歩ばかり後ろに退いて、だしぬけに号令をかけました。
「突貫」
 楢夫は愕いてしまいました。こんな乱暴な演習は、今まで見たこともありません。それ所ではなく、小猿がみんな歯をむいて楢夫に走って来て、みんな小さな綱を出して、すばやくきりきり身体《からだ》中を縛《しば》ってしまいました。楢夫は余程《よほど》撲《なぐ》ってやろうと思いましたが、あんまりみんな小さいので、じつと我慢《がまん》をして居ました。
 みんなは縛ってしまうと、互《たがい》に手をとりあって、きゃっきゃっと笑いました。
 大将が、向うで、腹をかかえて笑いながら、剣をかざして、
「胴上《どうあ》げい、用意っ。」といいました。
 楢夫は、草の上に倒れながら、横目で見ていますと、小猿は向うで、みんな六疋位ずつ、高い高い肩車《かたぐるま》をこしらえて、塔《とう》のようになり、それがあっちからもこっちからも集って、とうとう小猿の林のようなものができてしまいました。
 それが、ずんずん、楢夫に進んで来て、沢山の手を出し、楢夫を上に引っ張りあげました。
 楢夫は呆《あき》れて、小猿の列の上で、大将を見ていました。
 大将は、ますます得意になって、爪立《つまだ
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