にはひつてゐるし
はやしのくらいとこをあるいてゐると
三日月《みかづき》がたのくちびるのあとで
肱やずぼんがいつぱいになる
[#地付き](一九二三、一〇、二八)
[#改ページ]
鎔岩流
喪神のしろいかがみが
薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山|礫堆《れきたい》の中腹から
畏るべくかなしむべき砕塊熔岩《ブロツクレーバ》の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を
ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた
けれどもここは空気も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ
一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の岩塊《ブロツク》をふみ
すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの火山塊《ブロツク》の黒いかげ
貞享四年のちひさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに
空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な試薬《しやく》によつて
どれくらゐの風化《ふうくわ》が行はれ
どんな植物が生えたかを
見ようとして私《わたし》の来たのに対し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの
表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ
ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗応《きやうおう》ともかんずるのだが
(なぜならたべものといふものは
それをみてよろこぶもので
それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは
あんまり僭越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし
灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果《りんご》をたべる
うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅《べに》や金《キン》やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
(あれがぼくのしやつだ
青いリンネルの農民シヤツだ)
[#地付き](一九二三、一〇、二八)
[#改ページ]
イーハトヴの氷霧
けさはじつにはじめての凜々しい氷霧《ひようむ》だつたから
みんなはまるめろやなにかまで出して歓迎した
[#地付き](一九二三、一一、二二)
[#改ページ]
冬と銀河ステーシヨン
そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげろふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが燦々《さんさん》と降り
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
けさはまつ赤《か》に澱んでゐます
川はどんどん氷《ザエ》を流してゐるのに
みんなは生《なま》ゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた章魚《たこ》を品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日《いちび》です
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
あすこにやどりぎの黄金のゴールが
さめざめとしてひかつてもいい)
あゝ Josef Pasternack の指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯は
だんだん白い湯気にかはる)
パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です
[#地付き](一九二三、一二、一〇)
底本:「宮沢賢治全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1986(昭和61)年2月26日第1刷発行
1998(平成10)年5月12日第17刷発行
※底本で注を表す記号として用いられていた「※」は「*」に置き換えました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年10月4日公開
2004年3月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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