に入つたので、乙姫は勿論《もちろん》、わしもことの外満足ぢや。何はなくとも先づ一献過せ。」
そこで大変立派な御馳走《ごちさう》が出まして、正助爺さん、すつかりいい気持に酔つて夜の更けるのも知りませんでしたが、そのうちに東が白んで来ましたので、やうやく気がついて、お暇乞《いとまご》ひを申しますと、乙姫は侍女にいひつけ一つの美しい箱を持つて来さしました。
「正助や。」と、乙姫は申されました。「この箱には一疋の犬が這入《はひ》つてゐる。これはお前が天の羽衣を私《わたし》に贈つてくれたお礼です。侍女から、よくその養ひ方を教はつて行きなさい。」
正助爺さんは有難くお受け申して、又もとのとほり竜の駒に乗つて海岸まで送つてもらひました。その時侍女は、かう申しました――
「この犬には毎日|小豆《あづき》を五合づゝよく煮て喰《た》べさせてお置きなさい。さうすると夜中に糞《ふん》の代りに五合だけの黄金《きん》をします。だけれど五合以上は決して喰べさせてはなりませんから。そこはよく気をおつけなさい。」
成程、侍女が教へたとほり、五合の小豆をよく煮て喰べさせますと、その犬は夜中に五合だけの黄金《きん》を出してゐましたから、爺さんも婆さんも一寸の間に大金持になりました。けれども無慾《むよく》で慈悲心の深い人達《ひとたち》ですから、さうして取つた黄金《きん》も隣近所の貧乏人なんかに多くは恵みますから、人は皆この二人の年寄を褒《ほ》めないものはありませんでした。
ところがその隣りに一人の名高い強慾婆《がうよくばあ》さんがをりました。慈悲心正助のうちが俄《にはか》に大金持になつたのに不審を抱き、或日《あるひ》、その家《うち》へ行つて、どうしてそんなに金持になつたのかと訊きました。慈悲心正助は正直なものですから、すつかり打明《うちあけ》て話しますと、それぢや私《わたし》にその犬を二三日貸して下さいと、慾張婆《よくばりばあ》さんが申しました。
「えゝゝお安い御用です、さあどうぞお持ちなさい。」と、正助のところでは快く犬をかしてやりました。
然し二三日どころか五日経つても、又六日経つても犬を返して来ませんので、取りに行つてみると、慾張婆はひどい見幕で呶鳴《どな》りつけました。
「お前達《まへたち》は大うそつきだ。黄金《きん》を出すどころか、したゝかに糞《うんこ》をしたので、私《わたし》は腹が立つて火吹竹でどやしつけたら、死んでしまつたから、裏の掃溜《はきだめ》に棄てゝしまつた。」
「おや/\ひどいことをしますね。そんな筈《はず》はありませんが、お前さん、私《わたし》の言つたとほり五合の小豆を煮て喰べさせましたか?」
「そりや小豆を煮て喰はしたさ。けれども二三日借りたきりのものだから、そのうちにウンと黄金《きん》を取つてやれと思つて、一升喰はしたんだ。そしたら一升だけ糞《うんこ》をたれて、本当にひどい目にあはされた。」
「あゝそれぢやあいけない、五合以上喰べさしちやならないのだ。犬は可哀さうなことをした。どれ、では死骸《しがい》でも葬つてやりませう。」
そこで正助爺さんは掃溜の中から犬の死骸を拾つて、綺麗《きれい》に洗ひ浄《きよ》め、それを土竈《どがま》のさきへ埋めました。すると直ぐそこから榎《えのき》が芽を出して、正月の十七日にはその枝に沢山の大判小判の金貨がなりました。正月にかざる繭玉の由来はこれだと申します。
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「竜宮の犬」赤い鳥社
1923(大正12)年5月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年8月21日作成
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