は鏡の市といふところさ。やはり夢の国のうちなんだよ。だがね、こゝで一つ面白いことをして遊ばう。あの逆さまの人や物を、ひつくり返してみよう。お前あのおしやもじを持つてゐるね。」
「えゝ、こゝにあります。」
「それを出して、焼けてゐない方を前へ向けて、クウル、クリイル、ケーレと呪文《じゆもん》をとなへるのだ。いゝか、やつてみなさい。」
 吉ちやんはそのとほりにしますと、不思議/\、音もしないで、ピヨコリと、人でも物でも皆当り前になりました。するとそこいらにゐた人達《ひとたち》が、うよ/\と自動車のまはりへ集まつて来ました。
「有難うございます/\。あなたのお蔭《かげ》でみんなが、ちやんとなつて助かりました。あなたは神様でございます。」
 一人々々ぺこ/\とお礼を言ひます。そのうちに一人の立派な服を着た人が、その中から進み出て、丁寧にお辞儀をいたしました。
「私《わたし》は、この市《まち》の長をつとめてゐる者のところから参りました。あなたがみんなの難儀をお救ひ下さいましたから、お礼に御馳走《ごちさう》をしたいと申してをります。どうぞおいで下さいませんか。」
 大黒様はポケツトの中から、行くと言ひなさいと、すゝめますから、吉ちやんも、では行きませうといつて、その男に案内さして市長のうちへ行きました。
 市長のうちは大変立派な、大きなお城でした。けれども不思議なことには、何だかごた/\してゐて、吉ちやんをうつちやらかしたまゝ誰も出て来ません。
「大黒様。」
と、吉ちやんはもう何でも大黒様にきゝさへすれば分ると思つてゐます。
「どうしたのでせうね、この騒ぎは。それに、お客様の僕《ぼく》を、誰《だれ》もかまつてくれないぢやありませんか。」
「うん、これか。」
と、大黒様は申しました。
「これはいつもあることなんだ、世界がひつくり返つたときには。――いまに分るよ。」
 言つてゐるうちに、立派な服に、左の腕に黒い布をまいた人が出て来ました。その顔は蒼醒《あをざ》めてをりました。
「私《わたし》が市長でございます。」
と、その人は丁寧にお辞儀をして申しました。
「あなたのお蔭《かげ》で、私《わたし》共の世界が元どほりに、真《まつ》すぐになりましたことは、誠に御礼の申さうやうもないことでございます。で、ほんのお礼のしるしばかりに、宴会を開きましておいでを願つたのでございますが、とんでもないことが一つ起つて、大変失礼いたしました。」
「はあ、さうですか……成程、あなたの顔はあをいですよ。一体どんなことが起つたのですか。」
と、吉ちやんはもつたいらしく大人ぶつて言ひました。
「えゝそれはあなたに申しかねますが、実のところ、私《わたし》の一人娘が、今度世界が元へもどる拍子に、どこか身体《からだ》をぶつけたと見えて、死んでしまつたのでございます。」
 吉ちやんが何かいはうとすると、大黒様がポケツトの中から小さな声で、
「そんなことなら、僕が直《す》ぐよくしてあげますと言ひなさい。」
と、勧めました。
「さうですか、えゝと、では僕がよくしてあげませう。」
と、吉ちやんはえらさうに言ひましたので、市長は大変|悦《よろこ》びまして、吉ちやんをつれて娘のところへ来ました。大黒様はみんな人を去らしてしまへと、小さな声で吉ちやんに言ひますので、吉ちやんは、
「ではちよつとみんなこの室《へや》を去つて下さい。そして私《わたし》がよしといふまで、見てはいけません。」
と、いひつけました。
 皆《みん》なが去つてしまふと、大黒様がまた言ひました。
「またそのおしやもじの焼けない方で、娘の顔を撫《な》でるのだ。クウル、クリイル、ケーレと三べんとなへて――。早くしなさい。」
 吉ちやんがそのとほりにしますと、娘はすぐ甦《よみがへ》りました。


    五

 そこで市長は吉《よし》ちやんを大きな広間につれて行つて、沢山な御馳走《ごちさう》をしました。電燈がぴかぴかと宝石にうつつて輝き、オーケストラの音楽が鳴りひゞく。それに綺麗《きれい》に着かざつた紳士や、貴婦人が、よく活動写真で見るやうに、ダンスをしてゐます。吉ちやんは喜んで御馳走をたべながら、それを見たり聞いたりしてゐました。するとふと妙なことを考へ出しました。
 それはこんな綺麗な人達《ひとたち》が、前のやうに、逆さまになつたら、どんなものだらうか。どんな顔をするだらうかといふことでした。よく子供は股《また》の間から、逆さまに世界を見るものです。吉ちやんは股の間からではなく、ちやんとしたまゝ、世界の逆さまになつたのを見たくて仕方がなくなりました。そこで、大黒様には内しよで、そつと、例のおしやもじを出し、今度は前とは反対に、焼け焦げた方を少し向けてみますと、果して考へたとほり、舟がゆれるやうにみんなが一方へ傾きました。
「うん、これは面白いぞ。やあ変な顔をしてゐる。そら元へ返してやるぞ。」
 吉ちやんがおしやもじの焼けない方を向けると、また皆《みん》なが元気よく、踊つたり、跳ねたりします。焦げた方を向けると、皆な傾いて、心配さうな顔になる。吉ちやんは面白がつて、おしやもじをヒヨイ/\向けかへてゐるうち、ふと手に力が入りすぎて、焼けた方を向けますと、さあ大変、部屋も人もみんな宙がへりをして、それと一緒に吉ちやんもすてんとひつくりかへりました。びつくりして目がさめると、吉ちやんは自分の机に頭をつけて、眠つてゐたことが分りました。



底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「日本文芸童話集 上」興文社・文藝春秋社
   1927(昭和2)年10月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1923(大正12)年4月
入力:tatsuki
校正:鈴木厚司
2005年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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