ら、今太郎君はきつと自分が襲はれるものと思つて、早く逃げようとしましたが、真つ暗なので、どつちへ行つていゝか分りません。その上に、重い潜水服を着てゐるのですから、自由もきゝません。仕方がないから、貝入袋《かひいれぶくろ》の中から、護身用の大ナイフを手早く取出して、蛸が手をかけたら、ぶつぶつ切つてしまはうと待つてゐました。
 ところが何事もありません。はて不思議と怪しんでゐるうち、墨汁《すみ》で濁つた水もやう/\澄んで、あたりが見えるやうになると、二度びつくりしました。
 六メートルばかり前の岩穴の前に、雨傘《あまがさ》ほども頭があるすばらしい大きな蛸が、錨《いかり》の鎖にも似た、疣《いぼ》だらけの手を四本岩にかけて、残りの四本で何やら妙な大きな魚のやうなものを押へてゐます。しかし、押へてゐるだけで、すぐ喰《く》はうとはしません。
 今太郎君は蛸が自分にかゝつて来たのでない事を知ると、やつと安心して先程恐かつたことも忘れ、面白さうに、その場の成行をじつと見てゐました。
 蛸がすぐに喰《くひ》つかないのも道理で、その捕へてゐるのは、蛸にとつては恐しい大敵の海豚《いるか》だつたのです。だから大蛸は海豚が案外やす/\と押へられはしたものの、うかつにそばへは寄りつけないから、その大きな目をむいてじつと隙《すき》を狙《ねら》つてゐる、すると又、海豚の方では、不意を打たれて、幾分か自由を失つてはゐるものゝ、それぐらゐで閉口するやうな弱虫でないから、おとなしいやうなふりをして、実はじつと、蛸の様子をうかゞつてゐるのでした。
 と、たちまち、どんな隙を見つけ出したか、大蛸はその尖《とが》つた口を、まるで電光のやうな速さで、海豚の胸の真つ只中《ただなか》に、ぐさりと一突き!
「あツやられた!」
 今太郎君は自分がやられたものゝやうに、思はず大きな声を出しました。
 しかし、海豚はそれを待つてゐたのです。とつさに身をかはしたが早いかあべこべに敵の頭の下を狙つて、ぱくりと、喰《く》ひつきました。
 蛸やいか[#「いか」に傍点]は、手なんか二本や三本切つたところでびくともしませんが、その目のあるところは、人間で言へば首に当る大事な箇所ですから、こゝをやられたら、どんな奴《やつ》でもかなひません。海豚は自然に、それを知つてゐるのです。
 急所をやられて、さすがの怪物の大蛸も、とう/\参つてしま
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