まづ四隅《よすみ》の柱と横の桟とは黄金《きん》で作り、彫刻《ほりもの》をして、紅宝石、碧玉《へきぎよく》、紫水晶などをはめそれに細い銀の格子が出来てをりました。籠の天井は七色の絹の糸の網で、寵を吊《つ》るす紐《ひも》は皆|簪《かんざし》の玉にする程の大きな真珠がつないでありました。
 それから又喰べるものは、皆おいしい摺《す》り餌《ゑ》で、「鶉の頭《かみ》」といふお役が出来て、籠の掃除やら、餌の世話など一切をいたします。朝は王様がお后《きさき》と御一緒に表の御殿へおでましになると、その御坐近くの柱に籠がかけられ、夕方お寝間へお下りになると、そのお次の間に籠が置かれます。誠に結構な身の上となりました。
 併《しか》しどういふものか子鶉は、ちつとも嬉《うれ》しさうなそぶりも見せなければ、物も喰べず、又一つも謡ひもせず、夜も昼も悲しさうに首を垂れて何やら考へてをりました。
 幾日たつても子鶉は、そのとほり物を喰べず、謡ひもせず、だん/\と眼が凹《くぼ》んで、痩《や》せてきますので、王様は大変不思議に思召《おぼしめ》して、或時《あるとき》籠に近く寄つて、かうお尋ねになりました。
「鶉や/\、お前は、なぜ鳴かないのだ。私《わたし》が遊山《ゆさん》に行つたをり聞かしたあの美しい声をお前はどうしたのだ。お前はこの立派な籠が気にいらないのか? お前はこのおいしいものが、ほしくはないのか?」
 子鶉は悲しさうに垂れた首を持ち上げて、王様をぢつと見ました。その眼《め》には涙が光つてをりました。
「尊い王様。」と、やう/\子鶉は口を開きました。
「この美しい籠や、このおいしい餌は私には余りもつたいな過ぎます。こんなものがありますと私は謡ひたくても、謡ふことが出来ません。私は何だか、あの網でとらへられたとき、私の歌を落して来たやうな気がいたします。私の声はあの広い野の風に吹かれたとき、本当に心から出すことが出来ます。私の歌は私の年よつた一人の母のそばにゐて、それを慰めるために謡ふとき本当に上手に出ます。あゝ。」
 そこで子鶉は、はら/\と涙を流しました。その雫《しづく》は丁度秋の野の黄色い草に置く露のやうに、籠に凝《こご》りつきました。
 王様はおつしやいました。
「では、お前には年よつたおつ母《か》さんがあるのだね。そして、そのおつ母さんを慰めるために、あんないゝ声を出して謡ふのか?」

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