《こも》り終日戸の外にも出でず、屋の煙さえいと絶え絶えにて、時々寒食断食することさえあり、さながら喪を守るもののごとく半月余もかくして過しぬ、
ある日阿園はあまりの暑さに窓をあけて外面を眺めぬ、日はあたかも家の真上にありて畑の人は皆|昼餉《ひるげ》に急げり、と見れば向うの路より一個の旅人、大いなる布の包みを負いて此方に歩めり、ようやくに近くなれり、絶えず打ち守る此方の顔を旅人も目標として来るさまなりき、阿園は飛び立ちて独語せり、「佐太郎主にてはあらぬか、佐太郎主によくも似てあり、……否佐太郎主ならば、宿の主も一しょに帰らるべきものを、……さりながら余の人とは……いかにも佐太郎主のような……」
げに旅人は佐太郎なり、彼は今ただ一人帰れるなり、彼はさきに身を立つべき資を得んと百日余り命を賭《か》け牛馬のごとく追い使われしが、今は危難と苦役の地獄を出て、懐《なつ》かしき家路に上り、はるばるも故郷の橋を渡れるなり、彼が喜悦に溢《あふ》るる心緒は、熊本籠城の兵卒が、九死一生の重囲を出でて初めて青天白日を見たるその嬉《うれ》しさにも優《まさ》るべく、いと重げなる黄金の包みのその懐《ふところ》に
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