の友と寡婦に逢うの苦痛、その友の信用を偸《ぬす》みし罪、その妻を親切をもって謀《はか》りし罪その他一切の悪業に報わるるの苦痛あるを知りて死にしや否の一事はなお往々にして争われたりき、
 かくて古門村には二軒の空屋を残したり、一軒は川辺にあり一軒は山手に立てり、前者の門札は尋常にその墓に移りてあるも、後者の名はその石を有せざりき、逝《ゆ》くものは月日、三年立ち五年過ぎ、村人の代も変りて去年新たに隠居して本願寺に詣でし父老の一人、帰村の初め、歓迎の宴席において語れるその紀行のうちに左の一節ありしなり、
「われらが西京より近江《おうみ》に出でて有名なる三井寺に詣ずる途中、今しも琵琶湖《びわこ》を漕《こ》ぎ出る舟に一個の気高き行脚僧《あんぎゃそう》を見き、われらが彼を認めし時は、舟すでに岸を離れてありき、われらが彼を熟視するごとく彼もしきりにわが一行を打ち守りき、ついに彼は舟子に舟を返さしめんとするさまなりしが、その語は櫓《ろ》の声波の音に紛らされ舟は返らずしてますます遠ざかり、互《かた》みの顔ようように隔たりつつ、ついに全く見えなくなりぬ、さてその法師の容貌《ようぼう》と風采《ふうさい》とは、さながら年とりし佐太郎そのままにて、不思議の再会最も懐かしく思いたるに、他に佐太郎にあらずと言うものもあり、さらばとて、帰り路に再びそこを過ぎたれど人にも舟にも遇わざりし」と、



底本:「日本の文学 77 名作集(一)」中央公論社
   1970(昭和45)年7月5日初版発行
   1971(昭和46)年4月30日再版
初出:「国民之友」
   1891(明治24)年8月
入力:川山隆
校正:土屋隆
2007年4月5日作成
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