めたるが、峰の嵐《あらし》の戸を敲く声は地獄よりの使者の来たれるかとも思われたり、
 彼はもはや眠るあたわず、起き直りて夜の明くるを待てり、夜はやがて明け初め、怨夢《えんむ》はすでに去ったるも、怨夢の去りし※[#「片+(戸の旧字+甫)」、第3水準1−87−69]《まど》の孔《あな》より世界は白き視線を投げて彼が顔をさし窺《のぞ》けり、力なげに戸をあくれば、天は大いなる空を開きて未明より罪人を捜しおり、秋の日は赫々《かくかく》たる眼光を放ちて不義者の心を射透《いとお》せるなり、彼は今日も鎖《と》じ籠りて炉の傍に坐し、終日飯も食わずただ息つきてのみ生きておれり、命をかけて得たりし五十金、いずこに蔵《おさ》めてあるかその員《かず》に不足を生ぜざるか改めて見んともせず、ひたすらにまた日暮を待ちたり、日はやがて暮れたり、
 彼はあたかも遠征を思い立ちし最初の日の夕のごとく圃《はたけ》の人の帰るを測りて表の戸より立ち出でたり、彼が推測は謬《あやま》らず、圃の人は皆帰り尽し、鳥さえ塒《ねぐら》に還りてありし、彼は前夜の夢路をたどるもののごとく心細く歩きたるが、早や黄昏《たそがれ》すぎて闇《くら》きころ、思いがけなく一群の人の此方に向いて来たるに遇えり、彼は立ち留りて窺いたるに、これは皆村人にてしかも阿園の葬式の帰りなりき、佐太郎は再び愕《がく》としてあたりの櫨《はぜ》の樹蔭に身を隠したり、群は何の気もつかず、サヤサヤと私語《ささや》きあいつ緩々《ゆるゆる》その前を通りすぎたり、彼は耳を澄まして聞きたるに多くの言語相混じてしかと分らざれど、彼はかく聴き取りぬ、「縊れてまで死ぬるとは誰にいかなる遺恨あってぞ」「何ゆえ死にしか和主がほかに知るものなし」「憐れ憐れ誰が殺せしぞ」「伯父よ佐太郎主が縊り殺せしとか」と、彼は再び消え入ったり、
 一群ははるかに去りて暗光はドップリと暮れゆき再び来る人もなかりき、されど彼は阿園が棺とその葬式の道を恐れて出でず、なお樹下に潜みいつ遠近《おちこち》と夜の影を見回せり、彼の心には現世ははるかの山の彼方になりて、ココは早や冥土《めいど》に通ずる路のごとく思われ、ヒヤヒヤと吹き来る風は隠府の羽を延ぶるがごとく、眼前に闇よりもひときわ黒く釣《つ》られたる案山子《かかし》は焼け焦《こが》らされし死骸のごとく、はるかの彼方に隠々として焔えつつ遠くなり近くなりパシ
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