れを極めて自由に書きこなしたものです。最初の話「ゴーゴンの首」は「メヅサの首」といった方が分りが早いかも知れません。二番目の「何でも金になる話」は、慾ばりのマイダス王の話で原作の表題は THE《ザ》 GOLDEN《ゴウルドン》 TOUCH《タッチ》 ですが、「さわるものすべてを金にする魔力」という意味を漢字などであらわすと、よけいにむずかしくなるので、ちょっと変えて見ました。第三の「子供の楽園」は「パンドーラの箱」の話。第四の「三つの金の林檎」は英雄ハーキュリーズ(ヘラクレス)がヘスペリディーズの庭の金の林檎を取りに行く話です。第五の「不思議の壺」は「何でも金になる話」と共に、この本の中では最も教訓的なものですが、作者ホーソンのやさしい、正しい、そしてきびしい一面が、よく出ていると思います。最後の「カイミアラ」は青年英雄ビレラフォンが、天馬《ペガッサス》を得て、怪物カイミアラを退治する話です。ところが、ギリシャ、ローマの神話を読んで見ると、面白いことには、ビレラフォンを助けてカイミアラを討たせた、世にも美しい天馬ペガッサスは、パーシウスに首を落された、あの怪物メヅサの胴体から生れたということになっています。また、その時一しょに生れた今一人の兄弟の子が、「三つの金の林檎」の中に、六本足の怪物として、ハーキュリーズの手柄話にちょっと出て来るヂェリオンだったりするというようなわけで、「ワンダ・ブック」を読んでから、ギリシャ、ローマの神話にはいって行くならば、多くの旧知に出遇《であ》うような喜びを感じるでしょう。
最後に、それぞれの話の前後に添えられた「タングルウッドの玄関」その他の短い文章について、一言附加えておきたいと思います。それらは、前にもちょっと言った、作者の学生時代を思わせる青年ユースタス・ブライトが、子供達にそれぞれの話をして聞かせた、時と所と情景とを、まず描いて見せることによって、読者を聴き手の中へ誘って、話がすむとまた子供達に意見を述べさせたりして、読者にも考えさせるといったような、いずれも非常に暗示的な、面白いものだと思います。但し、話の本文とは少し行き方を異《こと》にしていて、寧《むし》ろ父兄の理解を助けるために添えられたものともいえるので、訳文の調子も少し変えておきました。
[#ここから3字下げ]
昭和十二年七月
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]三宅幾三郎
[#改丁]
目次
はしがき
―――――――――――――
タングルウッドの玄関(「ゴーゴンの首」の話の前に)
ゴーゴンの首
タングルウッドの玄関(話のあとで)
―――――――――――――
シャドウ・ブルック(「何でも金になる話」の前に)
何でも金になる話
シャドウ・ブルック(話のあとで)
―――――――――――――
タングルウッドの遊戯室(「子供の楽園」の話の前に)
子供の楽園
タングルウッドの遊戯室(話のあとで)
―――――――――――――
タングルウッドのいろりばた(「三つの金のりんご」の話の前に)
三つの金のりんご
タングルウッドのいろりばた(話のあとで)
―――――――――――――
丘の中腹(「不思議の壺」の話の前に)
不思議の壺
丘の中腹(話のあとで)
―――――――――――――
禿げた頂上(「カイミアラ」の話の前に)
カイミアラ
禿げた頂上(話のあとで)
[#改ページ]
はしがき
著者は、ずっと前から、ギリシャ、ローマの神話の多くは、少年少女のために、とてもすばらしい読み物に書きかえることが出来るという意見を持っていた。ここに公にする小冊子に於て、著者はそうした目標のもとに、六つの神話物語を書き上げてみた。このもくろみのためには、思いきった自由な取扱い方が必要だった。しかし誰でも、これらの伝説を、自分の頭の中で鍛《きた》え直してみようとすれば、それらが実に、すべての一時的な形式や事情から独立したものであるということに気がつくであろう。ほとんどほかのものはすべて、もとの形を失ってしまうほどの変化を与えても、神話そのものの本質は少しも変らないのである。
だから著者は、二三千年の歴史によって神聖化せられているその外形に対して、空想のおもむくままに、時に改変を加えたからといって、別に勿体ないことをしたとは思っていない。いかなる時代も、これら不滅の神話を、自分のものだと主張するわけには行かない。それらは、つくられたものだという気がしないくらいであって、たしかに、人類が存在する限り、ほろびようがないのである。しかし、そうして不滅であればこそ、いつ、いかなる時代が、それらの神話に、その時代固有の形式と感情のころ
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