た》ましいほど勇ましいと思った。若い衆の間に評判される踊り屋台にお鶴が出たということは限りなく美しいものに憧《あこが》るる私の心を喜ばせたとともに自分がそれを見なかった口惜しさもいかばかり深いものであったろう。けれども私はすぐさまわが羨望《せんぼう》の的だった絵双紙屋の店先の滝夜叉姫の一枚絵をお鶴と結びつけてしまった。お鶴の膝に抱かれながら私は聞いた。
「お鶴さんは踊り屋台に出て何をしたの」
「何だったろう。当てて御覧」
「滝夜叉かい」
「エエなぜ」
「だって滝夜叉が一番いいんだもの」
 お鶴は嬉《うれ》しそうに笑ってまた頬擦りをするのだった。真実《ほんと》にお鶴が滝夜叉姫になったのかどうか。私の言うままに、良い加減にそうだと答えたものなのか私は知らないが、古い錦絵《にしきえ》の滝夜叉姫と踊り屋台に立ったお鶴とは全く同一《おんなじ》だったように思われて、踊り屋台を見なかったにもかかわらず二十年後の今もなお私はまざまざと美しい絵にしてそれを幻に見ることが出来る。

 土用のうちは海近い南の浜辺で暮した。一|時《とき》として静まらぬ海の不思議がすでに子供心を奪ってしまったので私は物欲しい心持を知らずに過ぎた。けれども海岸の防風林にもつれない風が日に日に吹きつのり別荘町も淋しくなる八月の末には都へ帰らなければならなかった。帰った当座は住み馴れたわが家も何だか物珍しく思われたが夏の緑に常よりも一層暗くなった室の中に大人のようにぐったり[#「ぐったり」に傍点]と昼寝する辛棒も出来ないので私はまた久しぶりで町をおとずれた。木蔭《こかげ》の少ない町中は瓦屋根にキラキラと残暑が光って亀裂《きれつ》の出来た往来は通り魔のした後のように時々一人として行人の影を止めないで森閑としてしまう。柳屋の店先に立った私を迎えたのは、店棚《みせだな》の陰に白い団扇《うちわ》を手にして坐っていた清ちゃんの姉さん一人だった。
「マアしばらくぶりねえ。どこへ行っていらしったの。そんなに日に焼けて」
 娘はニコニコして私を店に腰掛けさせ団扇で※[#「てへん+扇の旧字」、18−上−14]《あお》ぎながら話しかけた。
「誰もいないのかい。清ちゃんも」
「エエ。今しがた皆で蝉《せみ》を取るって崖へ行ったようですよ」
「誰も来ないのかなあ」
 つまらなそうに私は繰り返して言った。
「誰もって誰さ。アアわかった。坊ち
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