な氣がするよ。」
「ほんとにああいふのが居てくれると頼母しい。」
などと云ひあつた事もあつたが、その自分さへ近頃の久保田君の出たらめには幾度となく迷はされて、何が何だかわからなくなつて、癇癪を起した事も數へ切れなくなつた。
かういふ變化が何に原因するものかを自分は知らない。恐らくは小説家の常として、久保田君は之を戀愛にでも歸するかもしれない。しかしつくづく考へてみると、矢張り本來の性質の一面が、他の一面を壓服して特別の發達を遂げたものと見るのが至當かもしれない。
「文壇電話」といふ綽名《あだな》をつけた人がある。彼方此方《あつちこつち》と喋り歩いて、忽ち噂を廣げるといふ意味なのださうだ。時には本屋の番頭らしい事がある。時には役者の男衆らしい事もある。それ程|變《へん》てこに顏が廣くなつてしまつた。
いたづらに狼狽《あわたゞ》しく散漫な日常生活は、到底久保田君をして充分に創作の才能を發揮させなくなつた。大正五年の秋、自分が外國から歸つて來た時、久々で逢つた久保田君は、恰も永井荷風先生が編輯主任をおやめになつた後の、つぶれかかつた「三田文學」を、如何《どう》にでもして續けて行かう、それにはお互に毎月必ず寄稿する事にしようではないかと、熱心に話を持掛けて來た。自分も承知した。さうしてそれ以來、隨分苦しい努力をして「三田文學」に寄稿しつづけて來た。しかしながら肝心の久保田君は、殆ど纏まつた物を書いた事が無い。休み勝だ。たまに出たかと思ふと、四五頁位で以下次號である。まとまつた印象をうける事がなくなつてしまつたので、
「久保田君も駄目だねえ。」
といふ嘆息を友だちの口からも聞く事になつた。
久保田君自身も、常におちつかない心の状態が、創作の邪魔になつて、あせつてもあせつても、何も出來ない事を嘆いて居たが、さういふ時は、日常友だちを相手に無責任な雜談をする時の癖で、誇大な言葉を用ゐ、「生活の改造」をしなければ駄目だといふやうな事を云つて、心にもなく力んで見せる。けれども、その「生活の改造」とは、要之《えうするに》女房を持つといふ事に過ぎないのである。自分では如何《どう》にもならない、女房に如何にかして貰ふ外には爲方が無いといふやうな、久保田君獨特の他力本願なのである。何事にも人を頼まず、自分一人の持つてる丈の力と努力以外には信じ兼る性質の自分は、此の「生活改造論」を聽かされると、本氣になつて反對したものだ。一人は結婚生活の幸福を夢み、女房が欲しいと云ひ、一人は結婚生活を馬鹿にして、女房なんか欲しくないと、顏を合せる度に話合つたが、その久保田君も愈々良縁を得て、優しい人を迎へられた。「戀の日」は遂に久保田君が獨身生活に別るる時の紀念となつた。
久保田君といへば、無責任な書肆や雜誌社の出たらめから、情話作家だと考へられ、單純無比な書生批評家の放言の爲めには、遊蕩文學の作者だと思はれてしまつた。現に「戀の日」の卷尾に添へてある舊著「東京夜話」の廣告には、「滅びゆく江戸の名殘を描き、華かなる東京の情調を描ける本書は、幹彦氏の西京藝術と相對して正に文壇の雙璧也」と書いてある。勿論本屋の廣告の事だから、自分の如きものさへ「正にこれ文壇の驚異なり」位の事は書立てられるのであるが、久保田君の作品の何處に「華かなる東京の情調」があるか。無理にも情話作家にして、長田幹彦氏あたりの安直な作品と共に賣れゆきをよくしようとするものに外ならない。さうして批評的能力を缺いて居る大多數の讀書子も亦、わけもなく雷同してしまつた。強ひて拾ひ出せば、「お米と十吉」「わかるる時」その他同傾向の作品が不幸にも存在して居るが、それとても嚴密な意味で情話とはいひにくい。矢張り久保田君一流の、果敢ない心持を主として描いた作品で、少くとも長田幹彦氏や近松秋江氏の、所謂艶麗な作品などと同列に置かる可きものではない。さうして此種の作品は、まとまりのいい、簡素な短篇を得意とする久保田君には似もやらず、冗長散漫で、常に失敗に終つてゐる。到底此の作者の如き執着に淡い人は、戀愛小説の作者にはなり切れないのである。
結婚の豫告と共に贈られた「戀の日」を手にした時、その「戀の日」といふ表題が、いかにも内容にそぐはないものに思はれた。「末枯《うらがれ》」「さざめ雪」「三の切《きり》」「冬至」「影繪」「夏萩」「潮の音」「老犬」の八篇、何れも無戀愛小説である。何處にも戀の場面は無い。だがしかし、つらつら考へると、或は久保田君にとつては、文字以外の深い意味があるのかもしれない。無理にも氣を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してみれば、これは作者自身の戀の日に出來た創作なので、作品そのものが戀の日なのではないのかもしれない。果してさうとすれば、「戀の日」一卷は愈々久保田君の結婚を紀念するもの
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