殊に文學の儲けの少い事、大概はマイナスになる事、及び東京へ遊學に出す事の出費と危險を雄辯に説いた。聞いてゐるうちに先生は自分自身が意見をされてゐるのではないかと疑つた程、諄諄と聞かされたのである。
「お母さんなんかに何がわかるもんか。」
息子は聞くに堪へないらしく、面を紅《あか》くして母親を叱したが、さういふ時には先生が必ず母親の味方になつて、
「それは考へてみれば學校に長く通つたつて無駄な事かもしれません。勉強しようと思へば一人でも勉強は出來るのですから。」
などと頼みにならない事を云ふのであつた。先生は實際平然として應對している樣子は見せながら、心中甚だ困却してゐたのである。可愛い息子の好きな事なら、好勝手《すきかつて》にさせてやればいいのにと思ひもし、可愛いからこそ息子の將來を心配して、やきもき氣をもみもするのだと、息子にも同情し、母親にも同情した。同時に又、二言目《ふたことめ》にはお金がかかるお金がかかると云ひ、藝術の作品を金錢に計量しなくては承知しない母親の態度にも慊《あきた》らず、こんな迷惑な地位に自分を陷《おとしい》れ、前觸れもなしに母親なぞを引張つて來た息子の世間見ずの我儘なぼんぼん面《づら》も面憎かつた。
さはさりながら此の場合、先生が專念に祈つたのは、自分自身がかかりあひになる面倒を避ける事であつたから、その爲めには是が非でも母親側につく方が利益だと考へたのは勿論である。
「まあひとつ會社で出世して、その間に實世間の經驗を積むのも、作家となる上から見ていい事かもしれませんよ。」
と悄氣《しよげ》てゐる少年に對して、實業家と稱される種類の人間の屡々口癖にいふやうなせりふ迄口の外に出した。
「ではまあ宅に歸りまして、又當人の決心も聞きました上、改めて御相談に伺ひます。」
と永い時間の對座の後、母親は坐り直して手をついた。
「貴方樣もああおつしやるのだから、貴方もとつくり思案して見なさい。」
と先生の頼み甲斐無いのに氣の拔けた息子にいひきかせて、
「まことにお邪魔致しました。」
と頭を下げると、母は子を促《うなが》して歸つて行つた。
先生はホツト一息ついて、額から胸から流れる汗にぐつしより濡れた單衣《ひとへ》の氣持惡く肌に絡みついた體を崩し、親子が立際に置いて行つた大きな菓子折を目の前にして、つくづくと自分の年をとつた事を感じたのである。(大正七年十二月十三日)
[#地から1字上げ]――「三田文學」大正八年一月號
底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
1940(昭和15)年12月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月17日作成
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