まされた。
「勉強したまへ、勉強したまへ。」
自分は彼の顏を見る度に、眞面目に學校に通つて、眞面目に勉強するのが小説家となるにしても、第一である事を説いた。丁度昔、自分が此の少年の年頃に人々に云ひ聞かされた通りに。
春になつて、少年は無事に商業學校を卒業し、自分も大に安心した筈だつたが更に又新しい心配が何時の間にか頭を持上げて來てゐた。
「先生、私はどうしても續けて學校に通つて勉強せんとあかんと思ひます。」
彼は眞劍になつていた。
「そりやァ學校は續ける方がいいさ。」
自分は、あれ程學校を厭だ厭だと云つてゐた彼が、急に勉強心の出たのを不思議がりもせず、怠けて落第でもされては大變だと、ひどくびく/\してゐた後であるから、勉強し度いといふのに安心して一も二もなく贊成した。
「けれどもお母さんが許さんから。」
少年は殘念さうな口吻で云つた。その殘念さうな口吻に氣が附くと、こいつはしまつたと、自分はとつさに思つたのである。
母親は息子の卒業と同時に、直ぐにも亡き夫の殘した爲事に就かせようとし、親類も勿論同じ考へで、殊に少年が文士たらんとする志望を抱いてゐる事は、働くといふ事には必ず金錢の利得の伴ふものと思つてゐる人々の不安心の種であつた。
「金儲け金儲けばかり云うて、金なんぞ一文もいらんわ。」
ぼんぼんはぼんぼんらしい事を云つて、身内の大人達を罵つた。
「しかし文學では喰つて行かれませんよ。」
自分は又しても大事取りの大人の臆病風に誘はれて、少年の燃えさかる火の手を消さうとした。
「喰はれんかて構はん。」
ぼんぼんは愈々ぼんぼんになつて語氣も烈しく云ひ放つた。
その日以來先生は益々不安を感じ出した。中途で廢《よ》してもいゝと云つて學校通ひを嫌つた時は、學校の難有味を説いて勉強するやうに忠告したが、忽ち彼が熱烈に學校生活を續け度いと夢中になつて來たのを見て、今度は學校も大したものではない、衣食足りてこそ藝術の製作も完全なものが出來るが、喰ふために書く事になれば文學勞働程悲慘なものは無く、作品も必ず儲け爲事の目的と墮落するに違ひ無い、殷鑑遠からず誰も彼も、其處にも此處にも濫作家がゐるではないか、それよりも一層方面違ひの事で衣食して、且つ藝術の製作に努力した方がましであらうと、もつともらしく勸め始めた。それには幸ひ先生自身が、會社員としての俸給で衣食し、同時に
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