思つた。けれどもあの作品には、本間氏がいふやうな童話の味はひなどは皆無である。傳説の味はひさへ稀薄である。多分にある味はひは、傳説らしい材料を、近代的小説の悧巧な企畫《プロツト》に活かさうとする工風と、更にその工風をいかにして覆ひかくさんとしたかを示す、智的惡戲の興味である。其處が自分の芥川氏に對する不滿の點で、殊に「奉教人の死」第二節「予が所藏に關する、長崎耶蘇會出版の一書、題して『れげんだ・おれあ』といふ」以下の、此の物語の典據調べなどは最も惡いいたづらだと思ふ。「れげんだ・おれあ」といふ本の名はあるのかもしれないが、「奉教人の死」は少くとも芥川氏の創作であらう。若し萬一創作でなかつたにしても、「作者獨自の解釋と創意」はありあまる程あるのであつて、それに對して、作者の解釋と創意を求める批評家の存在する事は、やがて才人芥川氏のいたづらつ子らしい傾向を、いやが上にも助長するものに外ならない。芥川氏の惡戲の興味の爲めに本間氏の如き批評家の存在は祝すべきであるが、同時に芥川氏の如きいい「技倆《うで》」の作家の爲めに、そんな惡戲の滿足を喜ばせて置くのは面白くない。
 自分は二人とも見た事は無いのだけれど、芥川氏の人の惡い微笑を浮べた顏と、本間氏の眞面目がつてゐる顏を想ひ浮べて吹出し度くなつた。
「どうも失禮致しました。」
 と襖をあけて主婦が出て來たので、自分は何氣ない顏をして新聞をたたんだ。
「隨分御退屈でしたでせう。」
「いいえ、新聞を拜見してゐました。」
「さうさう、主人がさう云つてましたよ、今朝の新聞に貴方のお書きになつたものの批評が出て居ますつてね。」
「エエ、今それを讀んでゐたんです。」
「いかがです、評判はいいんですか。」
「イイエ、不相變叱られてゐるんです。」
「なんですか主人《あるじ》は自分の事かなんぞのやうにぷんぷん云つてましたよ。こんな批評を書いてゐても原稿料が取れるんだから文學者は樂だねなんて。」
「だつて私の小説にさへ原稿料を拂ふんですもの。」
 自分は主婦の氣持のいい顏付と、齒切のいい言葉を聞いて、輕い氣分になつて笑つた。
「どうも難有うございました。時間ですから芝居の方に行きませう。」
「面白いんですかしら。評判はいいやうですね。」
「評判て新聞のでせう、あてになるもんですか。」
 自分は今の本間氏の批評から人を信用しない心持になつてゐたので
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