きにも云へる如くすべてに寛容なる我が父はわが文學を好む事にも何の干渉を加ふる事なく、我が筆執りて無益にも拙き小説書く事を知れど未だ曾て予をとがめし事無し、なんぞ予をして我が愛誦の書を燒かしむるが如き愚かしき事をし給はんや。
「ものの哀れ」の父と子の關係も亦わが空想の構へしものなる事を爲念《ねんのため》附記す。
「心づくし」には多くの事實と多くの空想とをまじへたり。これを明かに云へば前半に描きし事は大方據り處あれど後半殊に結末の數十行は單に都合よき結末を求めて我が綴りしものに過ぎず、予には彼の作中に見るが如き叔父も無く又曾て父母を憚りて我が筆を折らんとしたる事も無し。
「沈丁花」は三人の娘をかりて最も變化なき筈なる山の手の家の、なほかつ時勢の推移に連れて移り行く有樣を主として描かんとしたるが、力足らずして意にたがへるものとなり終れり。彼の作こそは悉くわが空想の産みし所にして、描きたる人々の性格餘りに變化無しとの評ありし時われ自《みづから》も亦頷きたり。
「噂」及び「夢がたり評議員會」はまことに噂と夢がたりに過ぎず、敢て説明を要せざるべし。
「友だち」及び「世の中」は近く予の試みし作なるが、何れは又後に至りて自ら堪へ難き迄厭はしくなるものなるべし。
「嵐」は一昨々年の夏鎌倉に在りし時、一夜俄に風荒れてすさまじく浪の高まりしが、海近き我が友の家の如きは深夜枕に浪をかぶりし程なりしかば、常より寢つき惡しき予の雨戸を搖る風の音、遠く砂濱を打つ濤聲《なみ》の騷がしさに、曉風の靜まる迄一睡もなし能はざりし其の夜わが腦裡に成りし一幕物なり。別段我が家の海嘯《つなみ》に襲はれし事あるにもあらず、その折家に在りしは予一人なれば登場の人物皆わが構へしところにして所謂もでるを有せざるなり。
「いたづら」に就きてはそのかみの事の思ひ出でられて懷しき心地す。わが幼かりし頃は未だ人々耶蘇教に對して故もなき偏見を抱きてありし時代なれば、予等幼き者はなほ不可思議なる邪宗なりと自ら思ひ居りしも無理ならず、その會堂に石つぶてする事は勇しき嬉しきいたづらなりき。
或時近き家の子等と我が家近き蛇坂の上にたてる普連土《フレンド》女學校の寄宿舍の窓に予も誘はれてつぶてしに行きしが、我が家の隣なる寺の子の逃げ遲れて女教師らしき人に捕へられしを殘し、あわてふためきて走り歸りし予等皆其の子の身の上の氣づかはれて、或は生血を吸はるるにはあらずやと思ひ、或は十字架にかけらるるにはあらざるかとさへ疑はれて、誰一人聲高に物言ふ者も無く何れも息をころして安否を氣づかひしが、夕暮方その子のつつがなくかへされて來たりし時、予等皆怖ろしき危難を逃れたる心地してちひさき胸を撫で下したり。
今は懷かしき日の事にて彼の一篇はそれより想ひ浮びしものなり。
予にとりて文學はただ慰みなり。曾て文學は男子一生の事業となすに足るや否やといふ題を掲げて諸家の説を求めし雜誌ありしが、予は事業なる文字の故も無く厭はしき心地して、かかる問に眞顏にて答ふる人の心持わが思ひも及ばざる勇しきものなる事を知りて寂しかりき。
われ常に思へり、われにして若し世の多くの人の如く勳章を得てなぐさまば、われにしてその人々の如く文學事業に一身を捧ぐる事を得ばいかばかり幸ならんと。
文學は遂にわが頼り無きなぐさみなり。(大正二年春)
[#地から1字上げ]――「三田文學」大正七年八月號
底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
1940(昭和15)年12月15日発行
入力:柳田節
校正:門田裕志
2005年1月19日作成
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