《はづか》し氣も無く繰返す言葉を口にして自分の教養の無い事を正直に曝《さら》け出した。目前の好景氣に浮調子となつた成金は、如何に頭腦の無い「實際家」の集團によつて國民が衰頽《デジエネレエト》するかを知らないのである。今「國事日日に多端」なる時に最も必要なのは、ハンマアばかり握つてゐて頭腦の空虚な人間が不必要だと思つて居る人間そのものである。原始時代の人間は食物丈で生きて居たかもしれないが、文明の世の中に於ては人は思想なくしては生甲斐が無いのである。
 匿名好きの吉村忠雄氏又は次郎生は、水上瀧太郎の匿名を何故か威たけだかに詰問してゐる。見聞の狹い「卑賤民」は雅號は單に下の名前丈を變へるものだと考へてゐるが、東西古今を問はず、幾多の文人墨客の中には全姓名に變名を換へ用ゐた例がいくらもある。ピエル・ロテイ、ジヨオジ・サンドなどいふのも筆技名《ノン・ド・プリユム》である。江戸時代の戲作者の殆んどすべてが本名を用ゐてゐない事は、勸善懲惡主義の匿名好きの吉村忠雄氏又は次郎生も先刻承知の事であらう。近くは春之舍おぼろ、嵯峨之舍おむろ、二葉亭四迷の如き、更に新しいところで太田正雄氏の如きは木下杢太郎、きしのあかしや、地下一尺生、その他めまぐるしい程の變名を用ゐてゐる。自分が自分の崇敬する明治大正の一大藝術家泉鏡花先生の作中の人物の姓名を無斷借用して水上瀧太郎と稱《とな》へたのは、別段深い意味はない。子供の時分から物を書く時には、親のつけた名前よりも自分自身で考へた名がつけ度かつたので、さうした迄の事である。しきりに「近親者」だ「近親者」だとしつつこく云ひながら、ちつとも本當の自分を知らないところを見ると、吉村忠雄氏又は次郎生は人違ひをしてゐるのではないかとも疑はれる。斷つて置くが自分の本名は阿部章藏である。
 吉村忠雄氏又は次郎生の愚にもつかない質問に長々と答へながら、自分は自分の正直過ぎるのが馬鹿々々しくなつたが、考へて見ると吉村忠雄氏又は次郎生の如き「卑賤民」は數に於て恐るべき勢力を持つてゐるのであるから、自分が本氣で努力してゐる藝術の爲にも、勞をいとはず返答しなければならないやうにも思はれる。讀者恐らくは、馬鹿々々しい詰問に取合つてゐる自分の愚を救ひ難しとするであらうが、その自分の馬鹿正直をさして即ち「愚者の鼻息」と題したのである。(大正七年六月十八日)
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