だ。幾度も/\甲板を往來《ゆきき》して足も心も踊るやうに思はれた。
 午前九時、船は遂に神戸港内に最後の碇を下した。船の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りに集つて來る小蒸汽船の上に姉と姉の夫と、吾々の家の知己某氏夫妻が乘つてゐて遠くから半巾《ハンケチ》を振りながらやつて來た。約三年間音信不通になつてゐた梶原可吉氏も來てくれた。久々ぶりの挨拶を濟してから、此の二月《ふたつき》の間、寒い夜、暑い夜を過して來た狹い船室にみんなを導いて、心置き無い話をし始めた。
 其處へ給仕《ボオイ》が、二枚の名刺を持つて面會人のある事を告げに來た。大阪朝日新聞と大阪毎日新聞の記者である。勿論自分は面會を斷るつもりだつた。折角親しい人々と積る話をしてゐるところへ、見も知らぬ他人の、殊に新聞記者が割込んで、材料《たね》取りの目的で、歐洲の近状如何などといふ取とめも無い大きな質問をされては堪らないと思つた。然し自分が給仕《ボオイ》に斷るやうに頼まうと思つた時は、既に二人の新聞記者が船室の戸口から無遠慮に室内を覗き込んでゐた。二人とも膝の拔けた紺の背廣を着て、一言一行極端に粗野な紳士であつた。勿論吾々の樂しき談笑は、此の二人の侵入者の爲に中斷されてしまつた。彼等は是非話を承り度いと、殆ど乞食の如く自分の前後に立ふさがる。
 豫て神戸横濱の埠頭には此種の人々がゐて、所謂新歸朝者を惱ますとは聞いてゐたが、それは知名の人に限られた迷惑で、自分の如きは大丈夫そんなわづらひはないと思つてゐたので、同船の客の中に南洋視察に行つた官立の大學の教授のゐる事を告げて逃げようとした。けれども彼等は承知しない。五分でも十分でもいゝから自分の話を聞き度いと言ひ張る。話は無い、話し度い事なんか何にも無いと云ふと、そんなら寫眞丈|撮《うつ》させてくれと云ひ出した。
 これは一層自分には意外な請求だつた。誰人も名さへ知らない一書生の寫眞を新聞に掲げて如何《どう》するのだらう、冗談では無いと思つて斷つた。すると傍の姉夫婦が口を出して、寫眞を撮して貰ふかはりに談話の方は許して頂いては如何だと口を入れた。自分も之に同意した。談話より時間の短い丈でも寫眞の方が樂だし、且は此の粗野なる二紳士を一刻も早く退散させ度いと願つたからである。其處で自分は甲板に出た。梶原氏が附添になつて來てくれた。
 ちやんと用意して待つてゐた各新聞
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